第71号「戦争中の庶民のしたたかな姿」

昔あったづもな通信71号

戦争中の庶民のしたたかな姿
 安倍首相による締め付けがきつくなりつつある。だが、われわれ庶民はそう簡単に負けはしない。あの過酷な戦争中にも、したたかなおじさんやおばさんがいたのだ。そのリアルな姿の一端を、昔ばなし大学の仲間の口からお伝えする。小澤俊夫(2017.12.12)


聞き書き 親たちの戦争
伊藤康子(京都昔ばなし大学再話研究会)
—父の場合  戦争が嫌で逃げまわっていた    
わたしが思春期に入った頃だろうか。休日ののんびりした昼下がり、他の家族が出かけて、父とわたしがふたりきりでいるとき、父が「わしは、徴兵が嫌で逃げまわっていたが、終戦の年の5月に、とうとう上海で徴兵された。そして終戦まで、上官の馬を引っ張っとった」と話してくれた。
 それまで、父が戦争の話をすることはなかったので、そのときは正直驚いた。それとともに「わたしの父は人を殺していなかったのだ」と、心底ほっとしたのを覚えている。
 そののち、その話を自分の中で反芻しながら、当時の父の気持ちが分かってくるように思えた。
 戦争当時の日本では、徴兵を避けて逃げまわるような男は「腰抜け」「非国民」と周りの人から非難されるような存在だったのではないか。父は確かに臆病者だったのかもしれない。父は「徴兵は嫌だ」と大声で叫ぶことはしなかった。しかし、周りの目よりも自分の思いを大切にしたから、逃げたのではないか。戦いがこわかったのか。人を殺すのが嫌だったのか。それ以上の父の気持ちは、分からない(そこまでは、私も聞くことはしなかった)。
 しかし、父は逃げた。戦時中の大勢に背を向け、周りの目よりも自分の思いを大切にし、父は逃げ出した。それは誹られる行為だったはずだとわかっていたはずだ。父の行為は堂々とした意見ではなかった。大声で持論を述べたのではなかった。しかし、弱者として、ちゃんと自分の思いを通したのだ。
 保守的でプライドの高い父が、わたしに「徴兵から逃げた」ことを話してくれたのは、そのことを恥ずかしいことと思っていないから話してくれたのだ。自分の正しい選択だと思ったから話してくれたのだと思う。そう思う。

—義母の場合  赤ん坊は泣くもんじゃ!     
 一方、義母は巴(ともえ)という名が表すとおり、きっぱりした性格だった。あるとき、空襲警報が発令され、義母はまだ赤ん坊の娘を背負って、近所の人たちと川の土手の防空壕に逃げ込んだ。息を潜めてじっとしていると、背中の赤ん坊がぎゃあぎゃあ泣き出した。そのとき、一緒に逃げ込んだ兵士(近所の人?)が「だまらせろ!」と威嚇した。それに対し、母は言い返したのだ。「赤ん坊は泣くもんじゃ!」相手がどういう反応をしたのかは聞いていない。
 アメリカの戦闘機がゴーゴーと飛ぶ中で、赤ん坊の泣き声が敵兵に聞こえるとも思えない。しかし、日本の多くの防空壕の中の同じような場面で、たくさんの母親が辛い悲しい思いをした。兵士にたとえ「それなら防空壕から出ろ」といわれても、義母はきっと赤ん坊を守るために抵抗したと思う。堂々と臆することなく、防空壕から出なかったと思う。義母は、周りに屈することなく自分の正しいと思う意見を通したのだ。

わたしの父と義母は、他と異なることをおそれなかった。自分の思いを通した。自分を守り、子を守った。自分が正しいと思う選択をし、異を唱えた。父は行動で、義母は叫ぶことにより...。
 最近、自分の本心を言いにくい雰囲気、周りと違う意見を言うことを恐れる風潮の世の中になっている。「空気を読む」という言葉が横行し、周りに合わせることが良しとされている。そのうえ、相互に監視させるような法律ができ、更に自分の意見を言えないような雰囲気になっている。まさに戦争中に似た空気が流れているように思う。周りの目・評価・常識を常に気にして、自分の思いを述べにくい、遂げにくい環境になっている。
 世論が統制されていた戦争中でも、正しい選択を行った普通の人たちもいた。父と義母の場合は、そういう場合のひとつではないか、と思う。
 だがさらに考えると、自分の意見を勇気を持って言うことは確かに非常に大事なことだが、もっと大事なのは、この日本の社会が、勇気を出さなくとも自分の思いや意見を自由言えるような社会であることではないだろうか。最近の安保法制からテロ防止を名目にした共謀罪まで、戦争中と似た言論統制がわかりにくい形で行われようとしている。人々に罠を仕掛けるような法律が次々に成立させられていると言えないだろうか。
 誰かがしてくれるというのではない。わたしなんて、何もできないということはない。
小さな行為の一歩から。自分の意見を大きな声で言うことがためらわれても、選挙という場で、自分の意見を言うことができる。
 それに加えて、何が正しい選択か見極める教育も大事だ。「これが正しい!正義だ!」と断じる人に、周りの人と一緒についていくことは楽だし、簡単だ。しかしその前に立ち止まり、自分の頭で考えるような教育が必要だと思う。
自分の思いや、正しいと思うことを、周りの空気に飲まれることなく表現することができること。そうすることが当たり前のようにできる世界を造ることが、今の私たちにとって大切なのではないだろうか。父や義母の取った行動や言葉が、特別なものでなくなるように...。
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第68号「政局は揺れても、護憲の候補者・政党を守ろう」

昔あったづもな通信第68号 
小澤俊夫
政局は揺れても、護憲の候補者・政党を守ろう
 小池知事は打倒安倍政権かと見せて、実は自分たちが有力な補完勢力になりたいだけだったことがばれてしまった。哀れなのは民進党。前原を代表にしてしまったから、前原に党を消滅させる道を拓いてしまった。
 だが、民進党の枝野、辻元、阿部知子らは護憲を掲げ、戦争国家を否定する新党「立憲民主党」の立ち上げを表明した。社民党、共産党と手を組むことになるだろう。
世の風当たりは強いだろうが、ぜひ頑張ってもらいたいと思っている。みんなで、それぞれの選挙区で、この人たちを支持しよう。
 日本という国全体が、ずしりと右へ移動した。こういう事態だからこそ、戦争諸法反対、護憲の声がますます大事になった。
 選挙が差し迫ってきた。周りの人たちにも呼び掛けて、枝野たちの立憲民主党、社民党、共産党の候補者を支持しよう。共産党という名前を嫌う人がいるが、いまや共産革命なんてありえないこと。心配することはない。それよりも、安倍首相一派を追いだすことが一番大事なこと。
 この選挙がこれからの日本に大きく影響する。ほんとうに危険なことになってきた。みんなで頑張ろう。(2017.10.3)
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