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東京都知事選挙

大変ご無沙汰しています。
コロナ禍の東京都知事選が展開しています。
昨日、宇都宮けんじさんの、東京都知事選挙の応援ビデオに出演したのでご報告します。
宇都宮さんについては、彼が初めて都知事に立候補したときに演説を聞いて、この人は本物だと思ったのでした。
二回目に立候補したときには、演説を聞きにいったつもりが、誰かに紹介されて、つい、選挙カーに乗って応援演説をしてしまって、それ以来、彼自身と親しくなったのでした。
 お付き合いしてみると、ほんとに素朴な人で、全国の弁護士連合会の会長だったことなんか、まったく感じさせない、普通のおじさんです。そこがいいです。
 というわけで、今回も応援しているのですが、なにせ、コロナさんがどこにいるかわからないので、残念ながら街頭演説会には出ていきませんでした。
 そうしたら、ビデオメッセージを作ろうということになり、昨日、ビデオチームが、ぼくの研究所に来たというわけです。2分20秒の短いメッセージですが、宇都宮さんのホームページに流れているので、見てください。
 いまの都知事は、政界をうまく泳いできたに過ぎません。それは若い時から目立っていたことです。それに、コロナ問題がおきてからは、東京アラートだとか、ソーシャルディスタンスだとか、横文字を連発しています。
「私はちょっと違うのよ」と言いたいんだろうけど、そんな言葉とは全く関係がない人がたくさんいることは、知事として考えないのだろうか。ぼくはおかしいと思う。
 ぼくは昔ばなしの研究者です。しかし、政治には強い関心を持っています。何しろ、政治によって日本がめちゃくちゃにされた時期に少年時代を過ごしたので、政治が大事だと、心から信じているのです。昔話と子どもを愛する方々は、どうぞ、政治に敏感になってください。いまのこの平和でも、政治によって、簡単にこわされてしまうのだから。
香港を見てください。香港の人たちが、いま、どれほどきつい絶望の淵に立たされていることか。香港のことは、また改めて書きたいと思います。

2020・7・3 小澤 俊夫
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第72号「元号をやめて西暦にしませんか」

昔あったづもな通72号
小澤俊夫

元号をやめて西暦にしませんか
 天皇が退位されることになり、新しい元号が話題になっているが、ぼくはこの際、元号はやめて、西暦に切り替えたほうがいいと思う。元号で時代を考えるために、われわれの時代感覚は短い時間に限定されてしまっていると思うからである。
 例えば、日清戦争は明治27・28年だった。今から何年前ですか、と言われて、すぐに答えられる日本人はほとんどいないだろう。西暦ならば、2018年から1894年を引き算すれば、124年前とすぐわかる。このことは単純なことのようだが、実はわれわれ日本人の時代感覚に大きな影響を与えていると思うのである。
 われわれは、室町時代とか明治時代、大正時代などというが、そのとき、現在との時間的距離は意識しないで、室町時代という時間的かたまりを意識しているに過ぎない。満州事変以来の時代に起きた出来事も、現在につながる出来事としてよりも、昭和時代という時間のかたまりのなかの出来事としてしか把握しない。その表れのひとつが韓国の従軍慰安婦問題ではないかと思う。日本人にとっては、あれはもう昭和時代という過去の一時期の出来事に過ぎないのである。韓国の人にとってはとてもそんなものではないのに。
 われわれはその意味で、時間的近視眼なのである。遠くは見えない。
 この近視眼は、時間だけでなく、空間についても効いているようである。第二次大戦末期にインパール作戦という大作戦の失敗があった。3万人の兵士が餓死、病死して敗退したということである。ビルマを横断して北上する約470キロ行軍の大作戦だったのだが、参謀本部は、山脈あり、大河ありのこの行軍が実際にどれほどの困難を伴うものか、イメージできなかったのだと思う。武器弾薬と食料を運ぶのに、牛や馬の背に乗せたというのだ。これなどは、農村での仕事の発想の応用ではないか。近視眼そのものである。敵の襲撃を受けると、牛や馬は四方八方へ逃げてしまい、日本軍は武器弾薬と食料を一気に失ってしまったこともあるという。
 この時間的、空間的近視眼を拭い去るために第一にするべきことは、元号をやめて西暦にすることである。時間を長いスパンで見ることが基本である。
 しかし、西暦はキリスト教の暦年だから日本には向かないという考えもあるだろう。だが、共産国である中国でさえ、年号を廃止して西暦にした。ロシアも共産国時代から西暦である。 
 そもそも元号とは、古代中国の前漢時代に、武帝という専制君主が作ったものということである。紀元前二世紀の話である。それを、二十一世紀の日本が、唯一の国として後生大事に守っているということ自体、驚きではないか。
 マスメディアは、そんなことは取り上げず、「元号にはMTSHは使わないほうがいい」などということで盛り上がっている。情けない話である。(2018.2.9)

第70号 とんでもない選挙結果だった

昔あったづもな通信 第70号
小澤俊夫

とんでもない選挙結果だった
 だが、いろいろな意味で、これが現在の日本の正確な状況なのだ。
森友・加計問題であれだけ疑問が出ていたのに、当事者である安倍首相を勝たせた。北朝鮮の脅威をまくし立てて恐怖心をあおる戦略にまんまと引っかかって、「日本を守る」などという嘘の宣伝にまんまと乗ってしまった。消費税を上げて、教育の無償化をするという、見え見えの飴にみんな飛びついてしまった。消費税を上げなくたって、大企業と富裕層への課税で教育の無償化はできるのに。
こんな簡単なだましに簡単にひっかけられる国民なのだということが、はっきりわかった。そういう国で、これから、言論の自由と平和憲法を守っていくにはどうしたらいいのか。
 日本会議に連なる極右の政治家、神社、お寺、職業団体は、庶民の生活の隅々に浸透している。今回の選挙でも、お祭りで神社に行ったら、神主さんが自民党支持を訴える挨拶をしたという体験談を聞いた。そういうレベルの政治運動に対して、われわれはどう戦っていくべきなのか。
 マスコミの態度も怪しかった。マスコミの力不足が一番露呈したのが、北朝鮮の脅威に対する態度だったと思う。安倍首相が「日本を守る」と叫んでいるのは、明らかに現在の北朝鮮のミサイル発射に対する日本人の不安感をあおるものだった。そしてそれは明らかに成功した。
Jアラームが発令され、子どもたちが防空頭巾をかぶって机の下に潜り込む姿が繰り返しテレビで流された。ぼくは、戦争中、「B29爆撃機に竹槍でたち迎え」と真面目くさって命令した軍人たちと同じ滑稽さを感じたのだが、こんな光景を初めてみた現在の多くの日本国民は、恐怖心を十分植え付けられただろう。そこへ、安倍首相が「日本を守る」と叫んだのだから、効果抜群だった。
北朝鮮のミサイル発射については、マスコミは事の本質を冷静に解説すべきだったのではないか。つまり、アメリカは、自分は核兵器を持ちながら、北朝鮮には持つことを許さないのである。北朝鮮は、イラクやリビヤがアメリカによってつぶされたのは、核兵器を持っていなかったからだと確信している。だから、核兵器を持っていればアメリカは攻めてこないだろうと考えている。つまり核の均衡状態があれば、アメリカにつぶされることはない、と信じているのだ。これは金労働党委員長の発言でよくわかる
しかも、核兵器は、超大国だけでなくインド、パキスタンなども持っているのである。北朝鮮もその核保有国に仲間入りをしたいのだ。それならば、北朝鮮にも核兵器の保有を認めて、世界の核保有国仲間に入れて、平和的関係国にして、核兵器を絶対に使わせない関係を築いくのが、外交というものではないのか。
そういう外交の可能性があるのに、安倍首相は全く言わないし、日本のマスコミもそれにほとんど触れない。韓国は、万が一北朝鮮が恐怖に駆られて核攻撃をし、戦争が始まったら、国が破滅することを知っているから、今でも外交交渉の必要性を唱えている。国民の間にも、トランプ訪問を拒否する強いデモンストレーションが起きた。
安倍首相の率いる日本政府は、アメリカに忠実であることばかり考えていて、アメリカの言うとおりにしていれば、「日本を守れる」と信じ込んでいる。だが、万が一、北朝鮮が追いつめられてミサイルを発射する場合には、アメリカ軍の基地がある沖縄がまず狙われることは確実である。本土にある基地も当然狙われる。それは普通の爆弾ではない。被害は広島、長崎と同じようになるのである。この危険が差し迫っているのに、アメリカの尻馬に乗って「北朝鮮への締め付けを強めよう」などと言う安倍首相とその政府にあきれる。それを強くいさめない日本のマスコミにも強い不信感を持つ。
その根底に、ぼくはふたつのことを感じ取っている。ふたつとも、残念ながら日本国民の心情の底の方に流れている弱点なのである。
ひとつは、朝鮮人に対する侮蔑の感情。日本は長いこと朝鮮を属国にしてきた。そこには強い侮蔑の感情が働いてきた。敗戦後はその感情は捨てたはずだが、北朝鮮に対してはまだ残っているように思う。韓国に対しては自由国家ということで連帯感が生まれているが、それでもあの「従軍慰安婦」に関しては認めようとしない。いわんや、北朝鮮に対しては、共産主義国家ということと重なって嫌悪感が先行してしまう。その嫌悪感を根底としてミサイル問題を考えるから、政治情勢の正確な判断ができなくなっているのだと思う。マスコミを含めて。 
もうひとつは、日中戦争から太平洋戦争を通じてずっとあった「長期的な、戦略的考察の欠如」である。日中戦争、太平洋戦争を通してロングスパンで考えてみると、日本政府と大本営は当時の日本の実力として絶対に不可能なことをしてきたことがわかる。昭和十二年(一九三七年)北京郊外の盧溝橋ではじめた日中戦争を、あの広大な中国本土全体に拡大してしまった。奥地の大都市、重慶まで爆撃した。日本の軍隊の規模から考えて到底カバーしきれない広大な土地を支配しようとした。あの広い中国で、中国軍を制圧し、中国政府を負かすことなど、普通に考えても不可能なことである。それを四年間も継続して国力を消耗した挙句、昭和十六年(一九四一年)アメリカを相手に真珠湾攻撃を仕掛けたのである。マレーシア半島とかフランス領インドシナ(現在のベトナムなど)を制圧することはできた。だが、その後、フィリッピン、インドネシアと戦線を広めるにしたがって武器弾薬の補給がうまくいかなくなった。制海権、制空権を連合国側に握られるようになり、本国からの軍隊の輸送も潜水艦に攻撃されて、無数の兵士が、戦地に着く前に海の藻屑と消えた。ガダルカナル島での日本軍の全滅は、当然の帰結だったのだ。だが大本営はそれを「戦略的方向転換」と言った。
先年、天皇陛下御夫婦が慰霊に行かれたリシュリュウ島は、日本から約三千キロも離れた島である。資源の乏しい日本が、三千キロも離れたいくつもの島に、制海権、制空権を敵に握られた状態で、多数の兵隊を送り、十分な補給ができるとは、誰も考えないのではないか。だが、大本営はそれを実行したのである。そこには、国家として不可欠な「長期的な、戦略的考察」が全くなかった。
ビルマ戦線についても同じだった。連合国から重慶への援助ルートを切断するという目的で、ビルマの北西部の都市、インパール攻略を計画し、実行した。数千キロの山岳地帯を進撃した。食料にするための豚や牛の背中に武器と弾薬を積んでいったという。ところが空襲にあうと、豚や牛は逃走し、食料と武器弾薬をいっぺんに失ったこともあるという。インパール攻撃どころか、日本の兵隊は、約三万人が餓死あるいは病死したという。(インパール作戦の悲惨な事実については、珍しくNHKがスペシャルで放映したことがある。)
ここでも長期的な、戦略的考察がないのである。当時のトップクラスの参謀たちが合議したはずなのに。
この大きな、基本的な弱点が今でもあちこちに顔を出す。北朝鮮の核兵器獲得の衝動の根源を見ようとしない。アメリカが核兵器を独占しようとしている悪辣な計画を見破ろうとしない。それどころか、いまだにアメリカにくっついていれば安全だと信じ込んでいる。それが、現在の安倍首相のトランプ大統領に対する振る舞いにはっきり表れている。あの媚びた振る舞いが、外国のメディアでは皮肉っぽく扱われているのに。
こんな安倍首相をいつまでも政権の座においてはいけない。次の選挙に向けて、われわれ国民は何をするべきなのか、急ぎ考えなくてはならない。(2017.11.11)

第69号「安倍首相を退陣に追い込もう、日本の未来のために」

昔あったづもな通信第69号
小澤俊夫
安倍首相を退陣に追い込もう、日本の未来のために
 森友疑惑、加計疑惑の審議では、関係者に「記憶にございません」と答弁させた安倍首相一派。国民のほとんどが「裏があったに違いない」と思っているのに、これで隠しおおせたと思っている安倍首相一派。「国民に納得いくように丁寧に説明していく」と総理大臣としていいながら、何も説明しないで、野党の準備ができていないうちと、突然議会を解散させた安倍首相。Jアラートを発令して、国民に北朝鮮への恐怖心をあおっておきながら、平気で総選挙という政治的空白を作る安倍首相一派。
 そして、従来の憲法解釈を一内閣で簡単に変更して海外派兵を可能にした安保法、国民を監視のもとに置く共謀罪法、そして平和憲法の改悪計画。
 こういう安倍首相とその一派が日本の政治を勝手に動かしていることこそが、「国難」である。
 この選挙では、自民・公明に過半数をとらせてはいけない。「ではどの党に入れるの?」と悩んでいる人がいるかもしれない。だが、答えははっきりしている。「立憲民主党と社民党と共産党の統一候補に投票すること」である。民進党から、憲法改悪、原発容認の連中は希望の党へ逃げていった。これですっきりした。今まで民進党が曖昧だったのは、前原代表のように「本音は自民党好き」の連中がいたからだったのだ。
 小池都知事は自民党にいたのに、舛添都知事のスキャンダルの隙にうまく立ち回って都知事になった。そして築地市場の豊洲への移転問題で世間の注目を集めた。だが国レベルの政治が動き始めると、移転問題は放ったらかしにして、新党を作ってみせた。しかし、都知事だから党首になって首相の座を狙うことはできないことに気付いた。それで希望の党は、なんと、首相候補なしで総選挙に臨んでいるのである。世界中の政党の歴史の中で、前代未聞だろう。
 しかも、小池知事の政治姿勢は、安倍政治にピリオドを打つと言いながら、憲法改正必要論であり、原発容認論なのである。これはまさに、安倍首相一派の補完勢力に他ならない。選挙後にはそのことがはっきりするだろう。
 立憲民主、社民、共産は党本部レベルでも、各選挙区レベルでも、統一候補擁立が進んでいる。われわれも、統一候補の当選にむけてみんなで力を尽くそう。選挙というものは、各選挙区でどう動くかが大事なので、みんなで、自分の選挙区でできるだけのことをしよう。
 この三党の誰かが通ったら、拍手し、声をかけて励まそう。知人と、この三党の候補者のことを話そう。もちろん、チラシ配りとか、ポスター張りとかも可能なら手伝おう。
 だが、共産党に対してはアレルギーを持っている人が多いと思う。ソ連や東ドイツの共産政権の悪辣な専制政治を聞き知っているからである。だが、働く庶民の生活を守り、基本的な生きる権利を守ろうという社会主義本来の思想は、人類が本来目指すべき思想である。現在の日本の共産党は、かつての非人道的な共産主義政権を目指してはいない。それは完全に否定されている。現在の日本の共産党は、共産主義本来の思想によって立つ政党である。
 現在の日本で共産主義革命が起きることは考えられない。そのことは、日本共産党が反安倍政権の戦いをする社民党、立憲民主党と政策協議をして、選挙区ごとに統一候補を立てていることを見ればわかる。われわれ選挙する側は、打倒安倍政権を実現するために、立憲民主、社民、共産の三党統一候補に投票しようではないか。
 この選挙が、日本の近い未来の姿を決めるだろう。つまり今の子どもたちが生きる日本の姿を。「昔は平和憲法なんてものがあったんだってね」。「その頃は言論の自由があったんだってね」。「言論の自由ってなに?」子どもたちがそんな話をしなければならない日本にしてはいけない。
 現在の平和憲法を失ったら、日本という国は二度と再び平和憲法をもつことは不可能である。何故なら、今の平和憲法は、約三百万人の日本人が殺され、約三千万人のアジア人が殺されてやっとできた憲法なのである。今後、そのような大戦争を日本は経験するだろうか。おそらくしないだろう。もし戦争を経験するとしたら、ほとんど全滅して、憲法さえ作れなくなるだろう。
 日本は今、重大な岐路に立っている。われわれの一票が日本を決めることになる。みんなで力を尽くそう。(2017.10.13)

第67号「今度の選挙では、各選挙区で野党連合を作らせて、自民・公明党の議席を奪わなければならない」

昔あったづもな通信第67号
小澤俊夫
 ずいぶん長いこと、音信不通になってしまった。25年続けている昔ばなし大学の再話研究の成果、1101話を上梓するべく、編纂作業に入っているので、この通信まで手が回らなかった。その間に世界と日本の政治情勢は緊張の度を増してきてしまった。
 安倍首相が臨時国会召集の日に議会を解散するという。昨日の会見では、消費税の増税分を教育費に充てるとか、「基礎的財政収支」を20年度に黒字化するという政府目標は達成困難とか、長々と述べていたが、森友問題、加計問題の追及から逃れようとし、野党の混乱に付け込もうとする魂胆であることは、誰の目にも明らかである。安倍首相本人も、これで国民を騙せるとは思っていないだろう。それでも、とにかく解散して、野党の混乱に付け込んで選挙に勝てばいいのである。何と下劣な人間なんだろう。プライドは全くない。
 憲法53条は、衆議員、参議院いずれかの総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は国会の召集を決定しなければならないと定めている。わずか四分の一の議員の要求があれば開会しなければならないという定めは、国会重視の表れに他ならない。森友・加計問題で野党はそろって国会開会を要求し続けてきた。それを全く無視しておいて、今、野党がゆらいでいるのを絶好のチャンスととらえて、国会解散を強行するのである。
 北朝鮮がミサイルを発射したといってJアラートを発令した。一部のJRは運航を停止し、学校では子どもたちが防空頭巾をかぶって机の下にもぐらされた。ぼくはこの措置自体がナンセンスで、ただただ国民に北朝鮮への敵意をかりたてるための悪質な計略だったと思う。国民にそれだけ恐怖心と敵意を植え付けておきながら、直後のこの時期に総選挙による政治的空白を平気で作るとは、全く悪質である。愚かではない。巧妙に考えられた悪質な政治手法である。
 こんな人間に政治をまかせていてはいけない。今度の選挙では、各選挙区で野党連合を作らせて、自民・公明党の議席を奪わなければならない。
 民進党の中には、共産党との候補者調整を拒否する者がいるそうだが、あまりにも小心である。候補者を調整しなければ負けることは火を見るよりあきらかである。われわれ投票者たちは、各選挙区の政党支部に、党中央の決定がどうであろうと、その地区での候補者調整を必ず行うよう要求していこう。聞くところによると、熊本では、民進党と共産党で候補者調整が成立したようである。そこには、市民の強い力が働いたということだ。
 われわれ一人の力は弱いようだけれど、選挙は、その一人一人の力が集まって、強い力になるのだから、あきらめずに、野党たちに、候補者調整を要求していこう。グループを作って政党支部とか候補者自身に申し入れるのもいいし、個人で申し入れるのもいい。選挙民のなかに候補者調整を要求する声が強いことを政党支部に気づかせよう。子どもたちに平和な日本を残してやるために、みんなでそういう具体的な行動に踏み出そう。(2017.9.26)
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