第9号 教育委員会の独立性は、戦争の反省から生まれたもの

 昔あったづもな 第9号 
 
                                            発信者 小澤俊夫


教育委員会の独立性は、戦争の反省から生まれたもの

 安倍首相は日本の教育を「取り戻す」ことに執念を燃やしている。第一次内閣の時に「教育基本法」を改悪し、今は教育委員会を制圧しようとしている。教育委員会の委員長と教育長を合体して、その任命権を、地方自治体の首長に与えようとしている。現在は、教育長とは別に教育委員会の互選によって教育委員長が選ばれているのである。
 現在の教育委員会制度は、戦争中、国家権力が教育を支配したことへの深刻な反省から生まれたものである。宗教と政治を厳しく分離したのと同じく、教育と政治を厳しく分離しなければならないと考えて生まれた制度なのである。国家権力が教育を支配するとはどういうことか、ぼくは小学生、旧制中学生として体験してきたので、よく知っている。
 学校の校門の脇に「ご真影殿」があり、登校の際には「天皇陛下のご真影」に必ず最敬礼をしなければいけない。新聞に「天皇陛下のご真影」が掲載されていたら、それを切り抜いて学校に持ってきて、「ご真影殿」の前で焼却しなければならない。そうでないと、うっかりして「ご真影」を踏みつけたりするかもしれないからである。これは当時言われた「皇民教育」の一環なのである。
 日本国民は皆、天皇陛下の赤子(せきし)である。だから、天皇陛下を崇めなければいけない。これが教育の根本思想であった。天皇陛下の赤子だから、いつでも命は天皇のために捧げなければならない。今から考えたら笑い出しそうなことが、真剣に論じられていたのである。異議をさしはさもうものなら、たちまち「非国民」のレッテルを張られた。
 教科書はすべて国家により検定された「国定教科書」だったのである。
内容はお国のために尽くした愛国者の話ばかり。明治政府以来の元勲といわれる権力者の美談。軍人の美談。親孝行な若者の美談。中でも軍人の美談はあらゆるところに書かれていた。教科書ばかりでなく、子どもの読み物もほとんどその種のものだった。
 肉弾三勇士。いつの戦争のことなのかわからないが、三人の兵隊が爆弾を抱いて鉄条網をくぐって突進して、日本軍の進撃を可能にしたとかいう話だった。あるいは、進軍ラッパを吹く役目の兵隊が、吹いている最中に敵弾を受けて倒れたが、絶命してもなお進軍ラッパを吹き続けたという嘘の美談。国家権力が教育を支配すると、こういうことが当たり前のこととして起きるのである。
 講堂の正面には日の丸が掲揚されており、壇に上がるには必ず日の丸に対して一礼しなければならない。(この光景は今日再びあちこちで見られる。つまり、戦争中の光景を「取り戻す」ことがすでにかなり進んでいるのである。)父や、夫、息子が赤紙(召集令状}を受けて軍隊に入る場合には、日の丸の旗に、「武運長久」などの励ましの言葉、別れの言葉、そして、家族の名前などを書き連ねて持たせた。入学式、卒業式には必ず「君が代」を歌わされた。{この光景も「取り戻されて」今日再び普通になりつつある。}
 修身の時間には、子どもは少国民だからしっかりせよ、と強調された。お国のため、天皇陛下のために、いつでも命を捧げる覚悟をしていろと教えられた。個人の尊重とか基本的人権などという言葉は、全く聞かれなかった。
 中学には陸軍の将校が一人ずつ配属されていた。長いサーベルという軍刀を腰に下げていて、校長より強い権限を持っていたそうである。軍事教練の時間があり、ぼくらは軍隊さながらの訓練を受けた。木銃{もくじゅう}で敵を突く訓練、匍匐(ほふく)前進といって、銃を持ったまま這って進む訓練もさせられた。
 歴史の時間には、天孫降臨から始まって、日本は神の国であることを教わった。天皇は現人神(あらひとがみ)であり、萬世一系であると教えられた。古事記などに記されている神話は、すべて歴史の事実として教えられた。
 教育を政治の支配下に置くということは、こういうことである。こうして国民は盲目的服従を強いられ、ファシストたちの指示するままに戦争に突っ込んでいった。
 戦後、このことへの強烈な反省のもと、教育は政治から独立であるべきであるという思想から、教育委員会制度が生まれた。そして、教育委員を選挙で選ぶ自治体もあった。教育委員長は、教育委員のあいだの互選であった。
 この教育委員会制度を安倍首相は破壊したいのである。そして、地方自治体の首長が教育委員長を任命することにしたい。すなわち、政治家の支配下におきたいのである。そのための口実は、「いじめなどの問題に速やかに対処するため」である。世の人々がうっかり賛成してしまうような口実をちゃんと用意している。だがいじめ問題は教育委員会の命令が速やかに実行できたら解決できるようなことではない。安倍首相がやりたいのは、「教育を取り戻す」ことなのである。「日本を取り戻す」と同じく、「8月15日以前の教育を取り戻す」である。
 そんなことをさせてはいけない。子どもや若者たちに、あの暗い、軍国主義教育をふたたび経験させてはならない。それは現在の大人の責任なのだ。
(2014/03/23)
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第8号 日本の敗戦の意味

昔あったづもな   第8号            
                              小澤俊夫

 パソコンの調子が不安定で、誠に不定期で申し訳ありません。題名についてご質問もいただいているので、少し説明させてください。「昔あったづもな」という言葉は、岩手県で昔話の語り始めの言葉としていう言葉で、学会では「発端句」と言われています。これから話しが始まるよという合図で「昔こういうことがあったそうだ」という意味です。昔話は架空の話なので、「あったことか、なかったことか知らないが、まああったこととして聞けや」という意味です。その言葉を使わせてもらっているのですが、私の場合は、「あったことか、なかったことか知らないが」ではなくて、まさに、「あったことなんだよ」のつもりです。
 「あったづもな」か「あったずもな」かというお問い合わせもいただいています。もともとは「昔あったつうことだよ」の意味なので、「あったづもな」にしたいと思っています。ただ、現在のローマ字表記法では、「づ」は「du」になるということですが、「du」は実際には発音出来ないので、「zu」でいこうと思っています。したがって、ローマ字の場合は、「mukashiattazumona」,ひらがなの場合は「昔あったづもな」とすることをご了承ください。


日本の敗戦の意味
 安倍首相の靖国神社参拝に対して、アメリカ政府が「失望した」と表明し、その他あちこちの国から強い批判が巻き起こっている。ぼくは新聞報道でしるだけだが、実際には相当に多くの国から批判が巻き起こっているに違いない。
 ぼくが気にするのは、日本の敗戦の意味が、政治家たちにも、かなり多くの国民にも理解されていないのではないか、ということである。
 やはり1945年、昭和20年の日本のポツダム宣言受諾に立ち戻って考えなければならない。ポツダム宣言とは、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳がベルリン郊外のポツダムで会談した後、アメリカのトルーマン、イギリスのチャーチル、中国の蒋介石三者の名において日本に無条件降伏を要求した宣言なのである。天皇は当時の御前会議の議を経てこれを受諾し、8月15日に国民に発表した。これで無条件降伏が決定した。
 日本の同盟国であったムッソリーニのイタリアは四月に、ヒットラーのドイツは5月に壊滅していたので、第二次世界大戦は日本の無条件降伏によって終結した。すでにメール通信で述べたことだが、あれは日本にとっても敗戦であって、終戦ではなかった。ここをごまかして来たので、69年たった現在、戦後育ちの政治家たちが、世界歴史についての間違った認識に基づいて発言し、行動しているのである。
第二次世界大戦は何と何の戦いだったかといえば、ファシズムと民主主義の戦いだった。ムッソリーニ、ヒットラー、東条英機という独裁者によるファシズム国家と、民主主義を国是とするアメリカを先頭にしたイギリス、フランス、中国、プラスソ連という共産主義独裁国家との戦争だった。(ソ連は共産主義独裁国家でありながら、便宜的にアメリカと結んだが)
日本はその戦争に敗れ、ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をした。そして、平和条約を締結した。これによって、日本はファシズムを捨てたことを世界に宣言し、世界の仲間に入れてもらったのである。その世界とは、民主主義を政治の原理とする世界である。
 (民主主義諸国とソ連との便宜的連合はその後破綻し、冷戦となっていくことはご存じの通りである)
 それで日本は平和憲法を持った。当然のことながらアメリカの意向に沿っているが、日本でも、主権在民思想のワイマール憲法に学んだ憲法草案があったことは知られている。戦後、アメリカが主導してきた世界は、一応、民主主義を標榜する世界である。そして、今や日本人は、民主主義が人間尊重の尊い原理であることを確信して来ている。民主主義が揺らいでいる国ももちろんあるが、とにかく日本は自由と民主主義を政治の基本理念とし、民主主義陣営の国としてやってきている。これが「戦後の日本の位置」である。
 ところが、安倍首相が靖国神社に参拝したことは、外国から見ると、安倍首相が、ポツダム宣言受諾以前の日本に戻ったこと、あるいは戻ろうとしていることを意味しているのである。なぜなら、靖国神社は日本軍国主義の中心をなす施設であったことを外国人は知っているからである。忘れているのは日本人だけかもしれない。
 日本軍国主義は、国民を軍隊に招集して戦地に送るとき、「死んだら英霊としてこの靖国神社に祀られるのだぞ。祀られたら神になるのだぞ。そして天皇に参拝されるのだぞ」と教えこんだ。靖国神社は普通の人間が神として祀られ、神である天皇に拝礼して貰える唯一の施設なのである。
 日本を知る外国人はそのことを知っている。そして、民主主義国になったはずの日本が、その靖国神社をまだそのままにしておくことを不思議に思っている人はたくさんいる。その不思議さは、軍国主義時代の日本の国体であった天皇制がそのまま存続していることの不思議さと重なっている。そこへもってきて、東京裁判で戦争責任を問われ、死刑になったA級戦犯が靖国神社に祀られているのだから、日本はファシズム時代から完全に抜け出ていないのではないかという疑いは、外国人の中にただよっている。
「でもまあ日本人は特殊だから、あんなものだろう」と大目に見ていたところへ、安倍首相が靖国神社に参拝したのだから、驚くのは当然である。
 それで、「失望」という批判になったのである。アメリカの、日本の政治家への疑念は一過性ではないと思う。安倍首相はじめその周辺の政治家たちがはやくこのことに気がつかないと、世界の日本に対する信頼は落ちるばかりである。
 いや、何よりも、われわれ日本人は、あの敗戦の意味をしっかり抱きしめて、日本をあのファシズム日本に絶対に戻さないよう、賢い努力をしなければならない。(2014.3.20)

第7号 憲法は国家権力の暴走を抑えるためのもの

メール通信昔あったづもな 第7号
                小澤俊夫

憲法は国家権力の暴走を抑えるためのもの

 安倍首相が国会の委員会で、憲法について、野党委員が法制局次長に答弁を求めたとき、「私が責任者なんだから私が答える」と主張して、憲法についての自説を述べた光景をテレビニュースで見た。ぼくはその瞬間、十八世紀フランス絶対王制の最中に、王が「わしが法律である」と言って政治をほしいままにしたことを思い出した。
 近代憲法は、国家権力はここまではしていいが、その先をしてはいけないことを宣言し、国家が国民に対して負うべき義務を明確にしているものである。時の政治権力が勝手気ままにできないように規制しているのが近代憲法である。
 しかも、総理大臣は行政府の長であって、立法府の長ではない。日本は三権分立の国なのである。行政府の長が憲法を司る責任者であるとい言うのは、勘違いでないとすれば、極めて危険な発想である。近代の立憲主義というものを理解していない。あるいは、理解していないふりをして、一党独裁の間に勝手にやろうというのか。
 日本の憲法には、国会議員や公務員は憲法を守る義務があると明記されている。それから見ても、憲法の解釈を閣議で変更して、集団的自衛権が行使できるようにしたり、武器の輸出を可能にしたりするのは憲法違反なのである。安倍首相は立憲主義を無視し、絶対王制を敷こうとしているかのようである。(2014/02/26)

第6号

メール通信昔あったづもな第6号
                      小澤俊夫

 雪のため行動予定が狂い、この通信も遅れました。この間に日本の政治状況はどんどん
悪くなってきています。
 安倍首相の靖国参拝に対して、アメリカが「失望した」と述べたのに対して、日本政府の高官や議員たちが、「アメリカの失望に失望した」と述べたと報じられている。日本側のこの反応も、第5号で述べた「銃後の目」と「戦地の目」の違いを認識していないことから生まれるものだと思う。
 日本の政治家たちは、戦争中、愛する父、夫、息子が家族と別れて健気に戦地に行き、お国のために戦っていたという面ばかりを意識している。ところがアジアを始め世界は、戦地での日本兵の残虐な行為だけを見ている。女性を性の奴隷にしたことだけを見ている。この違いを認識しないで、「わかってくれ」と言えば言うほど、日本への信頼は落ちる。従軍慰安婦を募集したのは軍そのものでなく民間業者だっだのだ、という主張は、銃後の官僚の手続きを述べているだけで、世界のこの問題への批判にはなんの答えにもならないことを知るべきである。
 政治家たちが、こういう、歴史の基本的な視点をまったくもっていないということ自体が、日本の政治のレベルの低さを生んでいると思う。マスコミの論調にも歴史のこの視点がかけている。ジャーナリストにはもっと勉強してもらいたい。(2014/02/26)

第5号 中国で見た日本の軍人

メール通信  昔あったづもな 第5号        発信者 小澤俊夫

 年末年始の休みが終わったら、途端に用事が増えて通信を発信できませんでした。第4号までを多くの方が読んでくださり、感謝いたします。
 誤りのご指摘を受けました。第一号で「後で退却だったことが分かったマダガスカル島の戦況」という文言がありますが、これは「ガダルカナル島」の間違えでした。陳謝し、訂正いたします。
PDFで送信した方がいいというアドバイスがあり、今号からPDFにして送信します。

中国で見た日本の軍人
ぼくは小学校入学の一年前、1936年(昭和11年)、父の仕事の都合で瀋陽(当時の奉天)から北京に移住し、翌年、北京の日本人小学校に入学した。その頃、北京在住の日本人は約700人といわれていた。ところが1937年(昭和12年)7月に、いわゆる盧溝橋事件が起き、日中戦争が勃発して、日本軍が北京周辺を制圧すると、日本の軍人、民間人が瞬く間に増えていった。ぼくが一年生の時には1クラスだったが、二年生の時には2クラスになっていた。
 日本軍が制圧した北京市だから、日本人は威張っていた。あるとき、ぼくの目の前で洋車(ヤンチョウ。人力車)がとまり、日本の兵隊が降りてきた、と思ったらそのまま歩いて行ってしまった。料金を払っていないのである。あれっ、と思って見ていると、洋車引きが追いかけていって、手を出した。すると、兵隊は腰のサーベルを半分くらいさっと抜いて、洋車引きをにらみつけた。洋車引きはあとずさりして、何か叫びながら逃げてきた。兵隊はサーベルを鞘に収めると、そのまま行ってしまった。
 ぼくは子どもながらに、これはおかしいと思った。料金を踏み倒して、サーベルを抜いて脅かすとは何事か、とぼくは腹を立てた。日本の兵隊のいやな面を見てしまった思いで、今でも忘れられないでいる。
 北京には日本軍の野戦病院が開かれた。それは中国で最も権威有る大学とされていた精華大学だった。精華大学は現在でも中国の中心的な大学である。それを占領して野戦病院にしたのであった。日本で言えば、東京大学を占領して野戦病院にしたようなものである。中国の文化人たちは、「なんと野蛮なことだ」と思ったことだろう。
 小学三年と四年の頃、ぼくはよく、クラスの友だちと、あるいは母に連れられて、傷病兵の慰問に行った。地雷で片脚を失った兵隊、目をつぶされた兵隊、片腕をもぎ取られた兵隊など、胸がふさがるような病室だった。兵隊たちはぼくら子どもが慰問にいくと、とても喜んで、ぼくらの周りを取り囲んでいろいろな話をしてくれた。
 ほとんどは戦場での手柄話だった。進軍していって、途中の畑で人が働いていると、それが老婆であれ、子どもであれ、必ず射殺したものだ、何故なら、その老婆が、われわれのことを通報する可能性があるからだ、という兵隊もいた。敵に自分たちの行動を知られたくないためだという。その兵隊は、手柄話として得意になって話したのだが、ぼくは、子どもながらに、おばあさんや子どもまで射殺するとは、ひどいことだと思った。でも兵隊にしてみれば、スパイを働く人間としか見えないのだろう。
 もっとすごいことを、得意になって話す兵隊がいた。抵抗分子が潜んでいるとみて、ある村に進軍した。ところが撃ってこない。どこかに潜んでいるに違いないが、村を捜索してもそれらしき男はいない。そこで、村人全員に食料を配給するという知らせを回した。そして、集まってきた村人を一軒の農家に入れて、農家に火をつけた。農民は大混乱におちいったが、外へ脱出した者は機関銃で皆殺しにした。
 この話は怖かった。でも、兵隊は手柄なのだから、得意になって話した。周りの兵隊たちも満足そうに聞いていた。ぼくはこどもだったけれど、後で思った。これは人殺しじゃないか。戦争でなかったら明らかに犯罪だ、と戦争への疑問が生まれた経験だった。
 南京攻略の時のことを話してくれた兵隊がいた。南京城をめぐる攻防は激しく、なかなか埓があかなかった。そこで最後には毒ガス攻撃をしたと、得意げに話した。毒ガスは国際的に使用禁止になっていることは知っていたので、ぼくは驚いた。だが兵隊たちは、当たり前のように話していた。
 また、しまいには膨大な数の投降兵がでたので、奴らに溝を掘らせ、その前に一列に並ばせておいて、機関銃で1遍に片付けたもんだ、と言った兵隊もいた。これは具体的に場面を想像してみると、すさまじい場面である。後に、南京大虐殺として国際的に糾弾された事件だったのだと思う。
 こういう話を、みんな手柄話として、得意満面で話して聞かせるのであった。ぼくらはこわごわ聞いた。それでも、後から、「これは普通の時ならば犯罪じゃないか。戦争だからいいのかなあ?」という疑問はいつも抱いていた。
 1941年(昭和16年)5月、ぼくたち家族は日本へ引き揚げ、東京府の立川市にすむことになった。その頃、戦地に対して国内のことを「銃後」と呼んでいた。明らかに軍国主義国家の生んだ呼び方である。
 戦地から銃後に移住してくると、男たちが次々に招集されていく場面をたびたび見ることになった。父が、夫が、息子が赤紙で招集されていった。家庭では、赤い召集令状が来ると、涙をこらえて別れをし、国防婦人会のたすきを掛けた婦人たちに見送られて入隊していった。近所の住民たちは、弾丸除けの千人針を作って召集兵に贈り、武運長久を祈った。立川駅では町会や隣組の人たちが万歳三唱して召集兵を見送った。「軍国の母は泣かない」と常日頃いいきかせられているので、母や妻たちは涙を見せず、立派に見送っていた。
 残された家庭では、慰問袋を作って、戦地にいる父、夫、息子に送った。そこには心を込めた品々が入れられた。皆、戦場の父は、夫は、息子は皇軍兵士として立派に行動しているものと信じていたのである。
ところがぼくは、戦地での日本兵を知っていたので、そこに大きな差があることに気がついた。銃後では愛する父であり、夫であり、息子である者が、戦地では老婆でも子どもでも無差別に射殺する鬼のような日本兵になる事実。村人たちを一軒の農家に閉じ込め、火をつけて皆殺しにする日本兵になる事実。多数の捕虜を並ばせておいて、機関銃でなぎ倒す日本兵になる事実。この大いなる乖離は、銃後にいる人は全く知らない。愛する、優しい父、夫、息子が立派な殊勲を立てて帰国する日を、ひたすら待ちわびているのである。
 一人一人の人間の、この大きな分裂を銃後の人は知らない。戦地から来る知らせは、せいぜい父が、夫が、息子が戦死したという悲しい知らせである。敗戦後の日本人は忘れてしまっている。無事帰還した兵隊は、家族には何も話さなかった。そのことは、多くの婦人たちが証言している。帰還した元日本兵にしてみれば、平和になった故郷で、家族に話せるような体験ではなかったのだ。
 逆に、外国、特に直接の被害を受けたアジアの人は、、優しい父、夫、息子という日本人は知らない。彼らにとって日本人は、残虐行為をした人間そのものなのである。その認識に基づいて、日本人の犯罪行為の追及が行われる。ところが、日本人にとっての日本兵は、やさしい父、夫、息子なのである。われわれ日本人は、あの戦争のことを考えるとき、目線の方向によって日本人像がまったく異なることを忘れてはならない。つまり、銃後の、そして戦後の日本国内での日本人像を描きながら戦争を論じたら、世界的には全く通じないのである。
 あの戦争は、動機はいろいろあったにせよ、アジアへの侵略戦争であった。そしてその中で残虐行為があった。無関係な女性を引っ張り回して慰安婦とした事実もあった。銃後の人は知らなくとも、アジアの人は知っていた。そして、日本は1945年8月にポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をしたのである。つまり全体主義をやめ、民主主義国家の仲間に入れてもらうことを約束したのである。だから、全体主義時代に犯した罪を償うのは当然のことである。それをちゃんとしてこないで、なんとなく賠償して、これですんだ、としてしまっても、外国は了承してくれない。今日本はそういう状態に陥ってしまっている。
 一言で言えば、政治家たちは歴史から学ばず、銃後の目で見ているだけなのである。そして、敗戦は終戦になっているから、全体主義は継続して生きているのである。その「日本を取り戻す」ためには官僚機構が強くならなければならない。そこで「特定秘密保護法」が必要なのである。戦争中の「銃後」の世界と戦地での日本兵の世界の乖離を、遅まきながら、しっかり把握して政治を行わなければ、日本は国際社会から置いてきぼりにされてしまうのである。(2014/01/28)

第1号の訂正をいたします

第一号で「後で退却だったことが分かったマダガスカル島の戦況」という文言がありますが、これは「ガダルカナル島」の間違えでした。陳謝し、訂正いたします。

第4号 安倍首相の「日本を取り戻す」は「軍国主義日本を取り戻す」だった。

メール通信 昔あったづもな 第4号            発信者 小澤俊夫 
      この通信は、84歳にならんとする老人が、過去の日本を振り返りつつ、現在の問題について問題提起をするために勝手に始めたものです。特に、戦後生まれの方々に読んでいただけたら幸いです。内容に納得できたら、どうそ自由に拡散してください。

 安倍首相の「日本を取り戻す」は「軍国主義日本を取り戻す」だった。
 日本人はあまり気がつかなかったようだが、安倍首相の選挙スローガン「日本を取り戻す」の日本とは軍国主義日本であることが、外国人にははっきり見えている。安倍首相の靖国参拝に対して、その直後にアメリカ政府が「失望した」という声明を出した。それに対して日本政府は、説明すれば分かるという生ぬるい反応しかしてこなかった。するとアメリカ政府は開き直って、12月30日、国務省の副報道官が「われわれが選んだ言葉から(日本への)メッセージは非常に明確だ」と述べた。そして、安倍首相の靖国参拝を「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動だ」と批判した。
 現在、アメリカにとって、中国は最重要な相手国である。日本はそれに比べるともはや重要ではない。中国の経済力は無視できないし、軍事力の面では危険性をはらんでいる。中国と何とかうまくやらないと、政治的にも、経済的にも危険がある。アメリカにとって日本は家来だと思っている(同盟国なんていうきれいな言葉を使うが)。その家来が近隣諸国、特に中国と争いを起こすことは極めて迷惑なのである。だから「失望した」という表現になった。
 中国の反応はもっとはっきりしている。中国の外務大臣が、年末30日の夜、ロシヤ、ドイツ、ベトナムの外務大臣と相次いで電話会談をした。そこでは二国間関係のほか、日本の問題で意見交換をした。
 ロシヤの外務大臣に対して中国の外務大臣は「中国とロシヤはともに反ファシスト戦争の勝利国であり、一緒に国際正義と戦後の国際秩序を守るべきだ」と述べた。ロシヤの外務大臣も、安倍首相の靖国参拝は「アジア隣国に対する挑発だ」と述べたという。
 韓国の国会では、安倍首相の参拝を「過去の侵略戦争に対して心から反省するどころか、むしろ侵略行為を美化した」ときびしく非難した。そして「未来志向の韓日関係構築と東北アジアの平和に深刻な影響を与える外交的挑発行為だ」とする糾弾決議を本会議で採択した。
 私の知る限り、日本では東京新聞が割に詳しく報じたが、他の新聞では扱いが極めて小さかった。見過ごした人のほうが多かったと思われるので、ここで紹介したのである。この通信第3号でも書いたが、靖国神社は明治以来、日本の軍国主義の中心をなす装置であった。「国の為には命を惜しむな。死んだら靖国神社に神として祀られるのである」。国民はそれを信じて戦地に赴いた。戦死した者の多くは靖国神社に祀られたが、祀られない者もあった。日本兵として招集された韓国人の遺族は祀られることに反対したが、それを押し切って祀られた。とにかく軍国国家を維持するための中心装置だったのである。・
 しかも東京裁判のA級戦犯も、戦後約30年経っていつの間にか靖国神社に合祀された。
靖国神社は、戦後、法律の改正によって独立の宗教法人になったとは言え、軍国主義の中心装置だったところに戦争を指導した責任者たちを合祀し、そこに内閣総理大臣が参拝するということは、かつての軍国主義日本を肯定することになる。これは論理的にいって、日本人といえども認めざるを得ない。上に述べた中国、ロシア、韓国の外務大臣はそのことをいっているのである。特に、「戦後の国際秩序を守るべきだ」という言葉は、はっきりしている。
 つまり、日本は1945年8月15日に「ポツダム宣言」を受諾して無条件降伏したのである。軍国主義を放棄し、民主主義国家として生まれ変わったのである。民主、自由、不戦の平和憲法のもとに、戦後の世界秩序の中に入れてもらった。それなのに今、安倍首相が靖国神社に参拝したということは、軍国主義の過ちをなかったことにする行為である、と外国人の目には、はっきり見えるのである。日本国内の報道だけ見ていると、それがなかなか見えてこない。マスコミは、一部の良心的なマスコミを除けば、なるべく見えないように報道しているのだから。
 こう考えてくると、安倍首相がスローガンに掲げた「日本を取り戻す」は、明らかに8月15日以前の日本なのである。その工程は着々と進められつつある。
 以前にも書いたが、ポツダム宣言受諾による無条件降伏を終戦と呼び変えたことが、今、大きな危険として現れてきたのである。国民もマスコミも、あれは「戦争が終わったのだ」と思ってしまったことが、戦争責任をうやむやにし、軍国主義日本と自由な民主主義日本との区別を見えなくしてしまった。安倍首相はそこにつけ込んできているのである。国民が自由と民主主義を守らなければ、子どもたちに、8月15日以前の日本を贈ることになってしまう。(2014/01/02)

第3号 マスメディアが使う言葉に用心しよう

メール通信 昔あったづもな  第3号
マスメディアが使う言葉に用心しよう
                 発信者 小澤俊夫   (小澤昔ばなし研究所長)
(日本は今、重大な危機にあると思います。子どもたちに暗い日本を贈らない為に、83歳の老人に何ができるか考えた末、始めた通信です。迷惑な方はご一報ください。差し控えます。賛同してくださる方はどうぞ拡散してください。特に若い人たちに)

 参議院選挙の前、ほとんどのマスコミは、新聞も、テレビも、週刊誌も、「ねじれ解消」という言葉を使っていた。「ねじれ解消が課題である」、「ねじれが解消されるかどうかが焦点である」など。「ねじれ」という言葉は、なんだかよくないことのような感じを人に与える。「ねじれた心」とか「ねじれた関係」など。それで多くの国民は、「ねじれは解消させたほうがいい」と思ってしまったのではないだろうか。その結果があの自民党圧勝だったのである。
 「ねじれ」は解消されないほうがよかったのである。もしあの選挙でねじれが解消されていなかったら、今回の「特定秘密保護法」は成立しなかったであろう。少なくとも今回のように自民党・公明党に一方的に押し切られて、審議らしい審議もせずに成立させてしまうことはなかっただろう。国会は衆参二院制なのだから、それぞれの議会で多数党が異なっていていいのである。そのほうが、時間はかかるが暴走はない。民主主義を守る為のシステムなのである。
 だが、善良なる国民は言葉の魔術にまんまとひっかかってしまった。政治上の言葉の魔術はいろいろあるのだろうが、「ねじれ解消」という言葉は、最も効果のあった魔術だっただろう。この言葉を考えだした人間は、あれ以来、「おれはなんと頭のいい人間なんだ」と、得意になっているに違いない。政治には、何かをするタイミングとか、宣伝の仕方とかに、大衆心理の専門家や、宣伝の専門家、戦略の専門家が必ずかかわっていることを覚えておこう。
 12月27日、沖縄県の仲井真知事が辺野古の埋め立てを、知事として承認に踏み切った時、朝日新聞は「混迷17年」との大見出しを掲げた。これは何事だ。「混迷」とは辺野古埋め立てを早くやりたい側から見ての言葉ではないか。大新聞がこういう大見出しを掲げると、善良なる読者は「そうか、やっと混迷から抜け出せるんだな」と思ってしまう危険がある。
 沖縄県民は17年間も抵抗を続けてきているのだ。しかも、知事が承認しても、県民の大多数は認める気はない。却って団結を強め、反対の声を強めている。大見出しは「抵抗17年、今なお反対の意思強固」とすべきではないか。それが、事実を報じる新聞の姿勢であるはずだ。権力側の目線で報じるべきではない。ジャーナリズムの本来の責務を忘れているのではないか。ジャーナリズムは常に権力への監視が役割のはずだ。
だが、私たちはよく覚えておこう。マスメディアは大会社になればなるほど、権力側に近づいていくことを。会社の上層部はどうしても権力側の政治家や高級官僚との付き合いが増える。顔見知りになり、個人的にスムースな会話をするようになると、記事を書く時にもシャープでなくなり、物事を見る目線もそちら側の目線になってしまうということは容易に想像できるではないか。そうやって書かれた言葉に、私たちは警戒しなければならない。
 一月から東京都知事選挙が始まる。これについても既に言葉による誘導が始まっている。先日、安倍首相はテレビで都知事選への感想を聞かれたとき、「都知事選挙は地方選挙ですから、その地方の課題がとりあげられるでしょう」と、わざと軽い調子で話していた。原発再稼働問題、汚染水問題、特定秘密保護法の問題、韓国軍に弾薬を供給した問題、道徳を正式教科に組み込もうとしている問題など、今、国民が危機感を感じている問題が都知事選の争点になると自分が不利になることは明らかなので、「そういう問題を都知事選の争点にすることはおかしいことなのだ」という雰囲気を、早いうちに作っておこうと企んでいるなと、ぼくは強く感じた。
 そんなことはないのだ。都知事選は地方選挙には違いないが、東京都は政治的には国政に大きな影響力のある都市であり、その知事は十分に首相への対抗力になりうる。安倍首相の暴走を止める力は十分持っている地位である。だから国政の問題が都知事選の争点になることは当然である。いや、争点にしなければおかしい。安倍首相の牽制は、今後、あちこちのマスメディアに現れるであろう。それを見れば、どのマスメディアが現政府寄りか、すぐ判別できるだろう。マスメディアの言葉に注目し、だまされないようにしよう。(2013・12・30)

第2号 首相の靖国神社参拝がなぜ問題なのか。

メール通信 、昔あったづもな 第2号     発信者 小澤俊夫(小澤昔ばなし研究所)

首相の靖国神社参拝がなぜ問題なのか。

 安倍首相は「国のために命を捧げた英霊に参拝することは、どの国のリーダーもすることだ」と述べていた。これには隠した部分が二つある。第一は、靖国神社には第二次世界大戦における日本の戦争責任者が合祀されているという事実である。
 第二は、靖国神社に祀られている人は、国のたに命を捧げた人すべてではないし、祀られていても、祀られることを遺族が拒否して、訴訟を起こしている場合もあるのである。つまり、息子、あるいは夫は戦死したが、そもそも無理矢理かり出されて兵隊になったのであり、被害者である。それなのに国家が勝手に英霊に仕立て上げて、靖国神社に祀ることは遺族として耐えられない、という訴訟がある。韓国人からも訴訟が起きている。そういう無念の思いを無視して、「国のために命を捧げた英霊」と、美しい言葉でかたづけることは、一国の首相として極めて無責任である。
 歴史的には、靖国神社は、戊辰戦争での官軍の戦没者のみを祀った鎮魂社だった。現在から見れば、戊辰戦争の官軍と賊軍はどちらも近代日本を作る上での戦いを戦ったのであ  る。しかし、賊軍の死者は祀られていない。そういう歴史の事実を無視して、「国のために命を捧げた英霊に参拝する」というきれいな言葉で、素直な国民をごまかそうとするのは、全く下品で悪質なやり方である。
 しかも、このような一般的な表現で言えば、事情を知らない外国の記者などは納得してしまうかもしれないという、悪知恵(淺知恵?)も働いていたかもしれない。
 外国の目が問題にするのは、やはり第一の問題である。敗戦後、1946年から48年まで、2年間にわたって東京裁判が行われた。アメリカ、イギリス、中国、ソ連、などの戦勝国が、日本の戦争指導者を裁いたものである。ぼくは中学三・四年生だったが、戦勝国から見たら「戦争指導者」だろうが、日本国民から見たら、国民にあの非惨な戦争を強いた責任者なのだから、東京裁判とは別に、国民が開く「戦争責任者裁判」があるべきだと、ずっと思っていた。が、世の中はそんな話には全くならず、東京裁判だけでことは終わってしまった。今でも残念だし、あそこで国民が責任を追及しなかったことが、今でも尾を引いていると思っている。
 何故なら、国民から見ての「戦争責任者」なのに、戦勝国のみが裁いたので、日本国民から見ての「戦争責任」は曖昧になってしまった、しかも、天皇の戦争責任も問わなかったので、日本国民にとっては「戦争責任者」はいなくなったのである。そういう意識の中では、東京裁判が日本の「戦争指導者」として死刑にしたいわゆるA級戦犯は、日本から見ると、戦勝国が勝手に決めたもので、「戦争責任者」ではない。「お国の為に命を捧げた英霊」なのである。つまり、不当な裁判による被害者ということになる。 
 だが昭和天皇は、1978年級戦犯が合祀されて以後、一度も参拝しなかった。天皇の精一杯の意思表示だったと思うが、政府と官僚は天皇の意志を無視し続けた。
、「新しい教科書をつくる会」や石原慎太郎など国家主義的な人たちにとっては、東京裁判こそ不当に行われたものだから、いわゆるA級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が参拝するのは、当たり前のこととなるのである。
だが、外国の目から見たら、全く別のことになる。あの大戦争を指導し、東京裁判で死刑の判決を受けた人間を祀っている神社に首相が参拝するということは、日本があの戦争を肯定していることにつながるのである。
同じ敗戦国であるドイツの場合を見ると、その違いがはっきりわかる。ドイツでは、ナチスを礼賛したり、ヒトラーの書物を出版することは法律で禁じられている。ナチスが造った強制収容所があちこちにそのまま保存されている。ぼくは、昔ばなし大学のグリム童話研修旅行の最後に、ワイマール近郊のブーヘンヴァルト強制収容所に案内する。収容棟は焼き払われているが、広い敷地全体が何もない墓地として保存されているのである。そばには、「警告の塔」がそびえている。「あの過ちは二度としない」という自分への警告なのである。このような強制収容所はドイツ各地に保存、公開されている。
ドイツで、首相がナチスの戦争指導者の墓地に参拝することなど、全く考えられないことである。過去の過ちと完全に決別したからこそ、ドイツは国際的に信用を獲得し、EU(ヨーロッパ連合)で主軸国になり得たのである。
それに比して、日本はどうか。隣人である韓国とも中国とも、首脳会談さえできない状態に自分を陥れてしまっている。国際的に信用を得ることなど、とてもできない。
こういう政治家に日本の政治を任せることはできない。(2013/12/28)

第1号  日本はこういう国だった 戦後に生まれたあなたに

メール通信 昔あったづもな 第1号

日本はこういう国だった
    戦後に生まれたあなたに
              発信者 小澤俊夫 小澤昔話研究所所長
 
 昨年12月6日に成立した「特定秘密保護法」は国民の首をじわりじわりと絞めていくことになる危険な法律です。日本人は1945年8月15日の敗戦まで「治安維持法」や「国家総動員法」によって苦しめられて来ました。ぼくには、あの日本がまたやってくるという強い危機感があります。安倍首相が選挙で唱えた「日本を取り戻す」とは、そういう日本のことだったのです。
 ぼくは2014年4月に84歳になります。戦後に生まれた人にとっては、敗戦以前の日本がどんな国だったか、ほとんど想像がつかないでしょう。そこで、ぼくが体験した、そして実際に見た、そして聞いた日本のことを、勝手に「通信」として広く読んでもらおうと思いたちました。内容に納得できた方は、どうか知人・友人に回してください。メールでも紙でもかまいません。ぼくに断らなくて結構です。そしてその知人・友人にも、もし納得できたら更に広めるよう依頼してください。特に若い人たちに読んでもらいたいと思います。

この「通信」を読むほとんどの方は、生まれた時にはもう現在の平和憲法があり、自由で民主主義を標榜する日本になっていたであろう。今の平和憲法を獲得するまでの、暗い日本のことは知るはずがなく、今の日本が当たり前と思っていることだろう。
 だが、今の平和憲法を獲得するには、約三百万の日本人が命を落とし、約三千万のアジアの人が命を落としたことを忘れてはならない。そして、日本は暗い秘密国家だったことを。
 ぼくは昭和二十年八月十五日まで、東京の陸軍第二造兵廠で神風特攻隊用の爆薬を作っていた。戦争中の日本の雰囲気にもろに呑み込まれて軍国少年だった。当時日本国民は戦争についての真相はまったく知らされず、日本は勝つものだと信じ込んで、ひたすらお国のために働いていたのだ。大事なことはすべて秘密のベールの中だった。日本海軍がミッドウエイ海戦で壊滅的打撃を受けたことなどまったく知らされていなかった。その後の敗戦のプロセスについても、きれいな言葉でごまかされていた。
 後で退却だったことが分かったマダガスカル島の戦況については「戦略的転向」と報じられた。ビルマ(今のミャンマー)戦線の敗戦も「戦略的転向」だった。アリューシャン列島のアッツ島での全滅は「玉砕」と言われた。もちろんそれは「全滅」だと想像できたが、国民はあからさまにそうは言えなかった。そのうちにアジア各地の前線での「玉砕」が報じられるようになった。国民は不安を感じ始めたが、「大本営発表」は「皇軍は赫々たる戦果を挙げている」とか、「敵を殲滅した」とか、「最後の勝利は我にあり」というばかりだった。そして、極めつけは「そのうちに必ず神風が吹く」という言葉だった。国民はみんなそれを信じさせられた。笑ったら国賊と呼ばれた。
 だが、昭和20年3月10日のいわゆる「東京大空襲」の時も、5月25日夜の東京西部地区(中野、荻窪、阿佐ヶ谷方面)の大空襲の時も、吹いたのは神風どころか、火災による大風で、そのためにあたり一面、完全に焼け野原になったのである。ぼくは立川でその空襲を経験したのだが、東の空が真っ赤に焼けて、新聞が読めるほど明るくなった。
情報は大本営発表しかなかったから、軍の高官や政治家、官僚、有力者たちが陰で利権をあさったりピンハネしたりしていてもわからなかった。それがわかったのは、敗戦後、いろいろな暴露雑誌が出始めてからであった。暴露されてみると、秘密裏に行われていたことは、ひどいものだった。
 ぜいたく品追放とか、精密機械製造に必要と称して国民に無償提供させた貴金属類は、軍部の高官や政治家たち、官僚たち、地方のボスたちがポケットに入れてしまったということだった。戦車製造のためと称して供出させた鉄類の多くは、放置されたまま錆ていったということだった。
 それらのことが秘密裏に行われていたということは、一般国民にはそれを知る権利はまったくなかったということである。今回成立した「特定秘密保護法」でも、国民の知る権利については、「配慮するよう努力する」程度のことでごまかされている。知る権利がないということは、知ろうとしたら犯罪になるということである。
 戦争中、「壁に耳あり、障子に目あり」という言葉が国中に徹底して言われていた。それは、どこにスパイがいるかわからないから、発言に用心せよという意味で言われていた。だが、当時、鎖国状態の日本国内のいたるところにスパイが潜んでいるはずはなかった。本当の意味は、国民に、「何かを知ろうとすることはやめろ」という意味だったのである。「目も耳もふさいでいろ。何かを知ろうとしたり、考えたりすることをやめろ」という意味だったのである。
では、それをやめて何をしろというのか。「ひたすら、政府の言うことだけを信じて、黙ってついてこい」というのである。言論の自由の正反対の考え方である。「特定秘密保護法」はそれをめざしている。なんとしても廃止しなければならない。(2013/12/26)
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