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第12号 本多立太郎という名前を知っていますか。

昔あったづもな 第12号
小澤俊夫

本多立太郎という名前を知っていますか。          本多さんは四年前に九十六歳で亡くなられた元日本兵です。戦争中、二回も兵隊に召集され、敗戦後はシベリアに抑留されて、奇跡的に生還しました。それからは、戦争中の兵士としての体験を赤裸々に語る「戦争出前噺」を日本全国で、そして中国でも語り続けました。日本兵が中国で犯した人道上の犯罪を正直に語り、聞く人に衝撃を与え続けたのでした。
 本多さんは『トンダ・モンタ国連へ行く』などの著作もあり、毎日放送制作のラジオドキュメンタリー「おれは闘う老人となるー93歳元兵士の証言」は二つの賞を受賞しましたが、実に根気よくいろいろな新聞・雑誌などに投書をしてこられました。読者の投書欄でこの名前を見たことがある人は多いでしょう。
 この度、その投書を集大成した本が出版されたので、皆さんにおすすめします。ここでは戦地のことは語っていませんが、彼の誠実な生き方と現代日本への鋭い考察は、我々の先輩の証言として貴重な贈り物だと思うのです。
 冒頭に67歳の時に毎日新聞に投書した文章が載っています。ぼくは、二十歳年上のこの老人にとても共感します。
「おれは闘う老人となる。
 おれは老人(ルビでじじい)。やがて、もっと老人になる。ただ、人のよいだけの老人にはなりたくない。だれからも好かれ、いつもニコニコと、限りなく優しいだけの、そんな老人にはなりたくない。
 いざというとき、また、軍人が国を支配し、軍人に便乗する政治家どもが国を支配し、孫が兵隊にとられるとき、おれはひょう変して、強い老人となる。闘う老人となる。
 戦車の前に立ちふさがり寝転がり、キャタピラの下にもぐりこむ。不敵な老人となる。
 『おれは老人。やがて、もっと老人になる。でもーー』」

ご注文の方法は 以下の通りです
『本多立太郎 投書集 1976-2010』  本多立太郎投書集を編む会発行 2014年2月27日
お問い合わせ:e-mail: toushoamukai@yahoo.co.jp
ご注文方法
ご住所、お名前、ご連絡先を明記のうえ、下記へお申込みください。ご入金を確認次第、本書をお送りいたします。
定価 1300円(税込)送料は別途一冊164円です。
複数冊ご希望の場合は事前に上記までご確認ください。
郵便振替口座  00950-0-202838 永野眞理子
                               (2014.4.12)
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第11号 火薬作り

昔あったづもな 第11号
小澤俊夫

このメール通信「昔あったづもな」は次の第12号から、「mukashiattazumona@gmail.com」
から発信いたします。これまでの仕方では発信のために、わたしがかなり手間をかけなければならなかったで、仲間に教えられて、知恵を使ったわけです。どうぞご理解ください。

火薬作り
 1944年(昭和19年)、各方面の戦線での「玉砕」が相次いで発表され、国内の都市は次々と空襲を受けていた。大学生は「学徒出陣」と称して軍隊に召集されていった。予科練とか特幹(特別幹部候補生)に志願していった中学の生徒もいた。ぼくらの二年上級だった。
 当時中学二年生だったぼくらの学年は、学徒動員と称して、主として工場に派遣された。ぼくらは9月に中学に通うことをやめ、東京郊外の南武線南多摩にある陸軍第二造兵廠(通称火工廠)に配属された。毎日火工廠で工員として働くのである。火工廠の中でもクラスによって配属が分かれた。ぼくら二年一組は火薬の収缶部門に配属された。出来上がって厚紙に包まれた火薬を木箱に詰めて密封し、火薬庫に収める仕事である。
 火薬だから細心の注意が必要だった。一つ一つを木綿(もくめん)で丁寧に箱に収め、蓋を丁寧に打ち付ける。出来上がった木箱を作業所一角に積み上げる。最初のころ収缶した火薬箱は30キロで、中身は確か手りゅう弾の火薬だった。30キロの木箱を一人で担いでいって、きれいに積み上げる。担ぐときには両脇に一人ずつ立って木箱をはねて(持ち上げて)やる。そこへ担ぎ手が肩を入れて担ぎ上げる。積み上げは、一人で、狙いすまして木箱の上にピタリと置く。慣れてきてからは、高い段にはバスケットボールのようにうまく投げ上げたものだ。
 火薬庫に運ぶ馬車がくると、ひとつずつ丁寧に馬車に積み替える。この作業が大変だった。作業所の出口の鴨居が低いので、火薬箱を担いだまま腰をかがめなければならない。腰が痛んで、火薬箱を落としそうになるのである。だが、火薬だから、絶対に落としてはなるぬと厳命されていた。「手が潰れてもいいから最後まで支えろ」中学二年生には無理なことだった。火薬庫は万が一の場合に連鎖爆発しないように、山のあちこちの谷に分散して作られた半地下壕だった。
 年の暮れ頃になると、来たのは45キロの火薬箱だった。中身は戦車地雷の火薬ということだった。当時、政府は、サイパンなど南方諸島まで攻めてきたアメリカ軍を日本本土に「おびきよせて、本土決戦で壊滅させるのだ」と息巻いていた。そして、アメリカ軍は九十九里浜あたりに上陸してくると予想し、あの砂浜に無数の戦車地雷を埋めておいて、上陸してきた戦車を破壊するのだと本気に考えていた。その戦車地雷用の火薬なのだ。如何にたくさんの地雷を埋めても、あの広い九十九里浜のどこに上陸するか分からないのだから、夢のような話だと思った。
空襲警報が鳴ると全員山の中の火薬庫に避難させられた。厚いコンクリートの半地下壕とはいえ、爆弾が一発落ちたら全員死ぬことは確実だった。
 東京の空の制空権は完全にアメリカ空軍に握られているので、空母の艦載機が自由に襲ってきた。あるとき、グラマン戦闘機が超低空で火工廠の上空を飛び回った。ぼくらは半地下壕の中で息を潜めていたが、もう完全に銃撃されると観念した。だが敵機は何回か飛び回ったら、一発も撃たずに飛び去った。アメリカ軍はもう勝利を確信していたから、占領後に自分たちが使えるように、施設を破壊しなかったのだと思う。多摩川の橋もひとつも破壊されなかった。事実、占領後、アメリカ軍はこの火工廠をそのまま火薬庫として使用した。和平提案もあった。それなのに日本政府は徹底抗戦を唱え、天皇もそれを抑えられず、そのために、沖縄、広島、長崎、その他、戦地でも銃後でも、死ななくていいはずのたくさんの人の生命が失われたのである。
 翌年の春頃からは、沖縄戦の特攻隊用の爆弾の火薬が運び込まれた。戦闘機一機が抱えていく大きな爆弾で、胴体部分は円筒形だから重くて、収缶すると110キロ、弾頭と弾尾部分は円錐形なので90キロだった。両脇からはねてもらうとは言え、一人で担げるのはクラスに三人しかいなかった。ぼくはその一人だったので、大きいのがくるといつも担がせられた。
右肩は瓦のように硬くなり、感覚を失っていた。
 この火薬は知覧基地から飛び立つ特攻隊が抱えていくのだ、と聞かされていた。敗戦後、その知覧へ行ってみた。基地の様子を涙なしでは見られなかった。あの火薬でたくさんの若者が死んでいったのだと思って。
 火薬担ぎのために、ぼくは腰と背骨を痛めてしまった。敗戦後、約20年間苦しめられた。だがぼくの受けた苦しみなど、微々たるものである。300万人の日本人が命を失い、国民すべてが苦しんだ。敗戦後、いろいろな秘密が暴露されてみると、一般庶民の苦しみを他所に、特権階級の連中はぬくぬくと甘い汁を吸っていたことがわかった。秘密は、特権階級と官僚を守る為にのみ必要なのである。国民を戦争に追い込んだ政府と軍部の中心にいた連中は固い秘密の壁の中で動いていたのだった。それでも日本国民は、自分たちの手で戦争責任を追及することをしなかった。国民のそういう手ぬるさ、よく言えば優しさを、現在の政府も官僚もよく知っているのだ。それだから、福島第一原発の大事故の責任を曖昧にしたまま、再稼働を計画したり、外国に原発を売り込んだり、4千億円以上の金を掛けて東京でオリンピックをやっても、追及されることはないとたかをくくっている。だが原発の問題、解釈改憲の問題、武器輸出の問題、秘密保護法の問題では、日本国民は手ぬるくあってはいけない。優しくあってはいけないのだ。(2014・4・4)
      

第10号 南の島で教科書の強制が行われている

昔あったづもな 第10号
                                       
南の島で教科書の強制が行われている

 今回は、昔でなく、今起きていることについて報告します。沖縄県の竹富島の教育委員会が、中学の公民教科書の採択をめぐって文科省から攻撃されているのです。
 沖縄本島のはるか南、八重山諸島の石垣市、与那国町、竹富町で形成する教科書採択地区の協議会は、三年前、中学の公民教科書に育鵬社版を答申した。しかし、竹富町教育委員会はこの協議会の運営に疑義を唱え、独自に東京書籍版を選んだ。育鵬社版は国家主義そのものの教科書で、良識ある教師ならとても採用することのできないものである。しかし、採択地区の定めに反するとして、国の教科書無償配布の対象から除外された。現在は地元有志による募金によって、生徒への教科書無償配布が実行されている。
 地方教育行政法は市町村に教科書の採択権を認めているので、竹富町はその権利を行使したのである。ところが、教科書無償措置法では。採択地区単位で教科書を一本化することを定めているので、文科省はそれを根拠に竹富島教育委員会の違法行為を責めるのである。この混乱の元凶は二つの法律の矛盾にあることは明らかである。文科省はその矛盾を放置したまま、最近、竹富町教育委員会に対して是正要求を直接発令した。これはまさに、国家権力の教育現場への介入である。こんなことを国民は許すべきではない。これは、戦争中の国民学校教育へ一直線に戻る道である。
 文科省は今国会に、採択地区を「市郡」から「市町村」へと小規模にする改正案を提出した。ならば、竹富町の判断を尊重する方向へと流れを変えてもいいはずである。
 だが文科省にはここでどうしても譲れない理由がある、と私は見る。下村文科大臣は、育鵬社の教科書をどうしても使わせたいのである。
 それは「新しい歴史教科書を作る会」の流れをくむ国家主義的な教科書だからである。「新しい歴史教科書を作る会」は、戦後の歴史教育は自虐観にもとづいているとして、日本の歴史教育を立て直さなければならないと主張する国家主義思想の集団である。複雑な内部紛争を繰り返した挙句、分裂して、その有力メンバーが育鵬社という出版社を立ち上げたのである。一連の流れの中では、「教育再生機構」という組織も作られた。安倍首相と下村文科大臣はこのグループと極めて近い関係にある人物である。
 安倍首相は直接口を出さないが、下村文科大臣はここで何としても育鵬社の歴史教科書を採択させたいのである。これこそまさに、政治の教育支配である。日本の南端の小さな島で強引に支配しようとしている。ぼくは那覇と石垣島でも昔ばなし大学を開講しているので定期的に飛んでいくし、抗議集会にも参加させてもらったことがあるのだが、現地の人たちは激しく怒っている。決して負けない覚悟で戦っている。
 育鵬社版はほとんど戦争中の教科書の様相で日本の歴史を教えている。あの無謀な戦争で筆舌に尽くしがたい苦しみを受けた沖縄の人たちが受け入れることのできない教科書で
ある。竹富町の市長、教育委員会そして町の人たちは一歩もひこうとしていない。ここで敗れたら育鵬社版がどんどん全国にのしていく危険性がある。どうか、全国の人たちからの激励や応援をお願いしたい。(2014/03/24)
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