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第30号 自由以前の問題

昔あったづもな通信 第30号
小澤俊夫

自由以前の問題

 鹿児島県国分で再話研究会、福岡で再話コース、大宰府の絵本の店あっぷっぷで新年講演会「音楽の楽しみ」、FM FUKUOKA で「昔話へのご招待」の収録、山梨県身延町での講演、甲府での研究会とやっているうちに、日本でも世界でも、おかしなことが次々と起きていました。
 ムハンマド風刺漫画事件とそれに対するテロ事件―言論の自由以前の問題がある
 フランスの風刺漫画誌がイスラム教の預言者ムハンマドを風刺する漫画を掲載し、それに激怒したイスラムの“過激派”が新聞社を攻撃して12名を射殺し、警察は犯人を追いつめて二人を射殺した。この事件に対してフランス全国で370万人のデモ行進があり、西欧諸国の首脳も参加した、という大ニュースであった。
 フランスをはじめ西側諸国では、「言論の自由を守れ!」との主張が叫ばれている。イスラム教の諸国では対応は分かれているようだ。「預言者への侮辱は許せない」と「侮辱はけしからんが、言論の自由は大事だ」ということらしい。
 一連の事件報道を見ていてぼくが感じるのは、フランス人の自己優越意識、そして中近東のイスラム教徒ムスリムへの蔑視である。そして、ドイツ、イギリス、アメリカなどが同調して、首脳たちがデモの先頭を歩いているのを見ると、キリスト教白人社会全体が、中近東のムスリムに対して蔑視を持っていることを感じるのである。
 その蔑視は、預言者ムハンマドをからかうという行為そのものに表れているし、ムスリムがそれに怒ったことに対して、「言論の自由だ」と言って逆上していることにも表れている。
 もし中近東のムスリムたちが、イエスキリストをからかった諷刺画を風刺漫画誌に掲載したら、キリスト教白人たちはなんと言うだろうか。「言論の自由だ」と言って放置しておくとは思えない。猛烈に攻撃することは確かである。
 そもそも他人の宗教的信仰に対して口を出すこと自体が、近代の社会では差し控えられてきた。キリスト教白人の近代、現代の社会内部では誰でもその節度を守っている。だが、イスラム教に対しては平気で雑誌に諷刺漫画を掲載し、しかもそれに対してムスリムが怒ると、「言論の自由」だと叫ぶ。あまりに傲慢ではないか。ぼくはそこに、「世界をリードしているのはキリスト教を奉じる白人である」という傲慢さを感じる。もちろん、そういう白人たちを批判する理性的な白人がいることは重々承知しているが。
 新聞・テレビの報道では、イスラム社会のあちこちで、あの風刺漫画に対する怒りが湧いてきているとのことである。西アフリカのニジェール、北アフリカのアルジェリア、中東のヨルダン、レバノンなどで大規模なデモやキリスト教会の焼き討ちが起きている。
 怒りが爆発する背景があった
第二次世界大戦終焉後、これまでアメリカによって仕掛けられた戦争で、アフガニスタン、イラン、イラク、パキスタン、シリアなどの民衆が塗炭の苦しみを強いられてきた。そのほとんどはムスリムなのである。特に最近では、パキスタンのムスリムたちが、アメリカの無人爆撃機で多数殺されている。無人爆撃機が突然病院に爆弾を投下する。子どもたちが学ぶ学校に投下する。これは人間が姿を見せないテロではないか。民衆が怒るのは当然である。そこへ預言者ムハンマドをからかう風刺漫画が現れた。イスラム教信仰の中心を風刺漫画でからかった。怒りが爆発するのは無理ないではないか。
 日本に置き換えて考えればすぐ理解できるだろう。日本人は宗教に寛容と言うか、いい加減と言うか、結婚式は神社またはキリスト教会で行い、正月には神社かお寺に初詣し、お盆とお彼岸はお寺で行い、クリスマスにはサンタクロースの歌を歌い、大売出しに出かけ、死ねばお寺に葬られる人が多い。そういう日本人でも、もし異教徒が天照皇大神を漫画にして風刺したら、伊勢神宮を崇敬する人は激怒することは確かだろう。あるいは親鸞上人、日蓮上人などを漫画にして風刺したら、信仰心厚い仏教徒は激怒するだろう。いわんや戒律の厳しいイスラム教の信徒が激怒することは想像に難くない。そういう想像力を、日本人は今働かさなければいけないのである。そういうことを想像してみれば、今度の事件を「言論の自由である」と言って済まされないことが理解できるはずである。
 ぼくは新聞・テレビなどごく普通のマスメディアしか見ていないが、その限りでは、どうも自分をキリスト教白人の位置に置いて考えている記事が多いと思う。「言論の自由を守れ」という主張が、まったく批判なしに報じられていることが多い。「あなたはなに人なの? あなたの宗教は何?」ときいてみたくなるような記者・執筆者が多いのである。
 そもそも「言論の自由」とは、権力に対して民衆が主張する自由である。他人の信仰に対して使うべき言葉ではない。
 政治家がこの「キリスト教白人病」に感染していると極めて危険である。つまり「集団的自衛権の行使」と称して、自衛隊をアメリカ軍と一体化して行動させることになる。すると、日本にもムスリムの人たちのテロが及んで来ることになるのである。
 日本は戦後70年、平和憲法のもとで中近東のムスリムとも親しくやってきた。文化的にも経済的にも。ムスリムのなかには親日感情をもっている人が多いと聞く。それなのに今、キリスト教白人の傲慢な風刺漫画に巻き込まれて、日本製キリスト教白人になった気分でムスリムを敵に回しそうになっている。それは愚かであり、危険である。
 70年築き上げてきた平和の国日本がなすべきことは、キリスト教白人にも中近東ムスリムにも、冷静に互いの価値を認めあい、互いを尊重しあうことを教えることではないのか。アメリカ軍に自衛隊を援軍として送ることではないはずだ。今のまま進むと、いずれは怒れるムスリムのテロが日本にも及びかねないのである。
安倍首相はその危険に気が付いていないらしい。日本は極めて危険な状況になってきつつある。日本人に冷静な状況判断を求めたいし、世論をリードするジャーナリズムの賢い洞察と勇気を求めたい。(2015.1.19)
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第29号『忘却に抵抗するドイツ―歴史教育から「記憶の文化」へ』(岡裕人著、2012年、大月書店)

昔あったづもな通信 第29号
小澤俊夫

『忘却に抵抗するドイツ―歴史教育から「記憶の文化」へ』(岡裕人著、2012年、大月書店)

 都合の悪い過去を消しさろうとあがく日本と、強制収容所などを保存し、公開しているドイツとの違いは、ぼくにとって大きな問題なのだが、この本は、ずばりその問題を在独20年の日本人歴史学者が書いたものである。一読をお勧めする。
 著者の子息がドイツのギムナージウム(中等高等学校)に通学していて、その教室での近代史の授業料の様子から始まる。
 1933年にナチスが政権を掌握したときの事情を生徒が調べてきて発表する。先生が補足する。生徒が積極的に調べてきて、事実を詳細に把握している様子がわかる。
そして、ナチスが大衆把握に力を注いでいたことが報告される。生徒たちが、ナチスの実態をよく学んでいる様子がわかる。
「ナチスは青少年にナチスのイデオロギーを吹き込み、忠誠、仲間意識、義務の遂行、義務の遂行、強い意志といったナチスの価値観を植え付けていきました」などの生徒の発表が報告されている。その後、先生が、ゲッべルス宣伝相などについて詳しく説明していく。
 ギムナージウムでの歴史教育では、現代史に重点が置かれているという。日本とはまさに正反対である。日本では現代史はほとんど教えない。
 ドイツは1990年に再統一を果たした。統一されたドイツでは、ナチスのいわゆる第三帝国とならんで戦後冷戦時代の東西ドイツ分割の時代、東西冷戦とその終結、ヨーロッパの統合というテーマも同様に重要になってきている。「過去として第三帝国時代が絶対でなくなり、相対化されてきた」と述べられている。
 それに比して日本は、あの戦争を未だに相対化できないどころか、中国、韓国と未だになまなましく対立している。
 本書では、ホロコーストで生き延びた一人のユダヤ人女性の数奇な運命を描いた『ゲルダの沈黙』という本が紹介されている。動物のように扱われながらもホロコーストで不倫の子を生み、しかも2週間でその子を餓死させてしまった女性のすさまじい実話である。
 本書の後半では、ドイツがポーランドと共同の歴史教科書を作り、さらにフランスとも作った努力が、詳しく報告されている。特にポーランドは、歴史上常にドイツにいじめられていた国である。したがって共同の歴史教科書を作ることは、世論として認められなかったが、強い意志を持った両国の歴史学者の粘り強い努力で出来上がったとのことである。その時、成功への道をひらいたのは、当時のドイツ首相、ヴィリー・ブラントの決断だったとのことである。ブラントはポーランドに謝罪し、個人への慰謝料も多額に出したとのことである。首相が本気で和解をしなければ、いつまでも戦争を引きずるのである。今、中国、韓国とそういう状態から抜け出せないでいる日本と比べてみると、政治家の力量の大きな差を感じてしまう。
 本書の題名からして、現在の日本人を惹きつける。ぜひ、一読をお勧めしたい。(2015.01.08)
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