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第50号 参議院で廃案に追い込もう

昔あったづもな通信第50号
小澤俊夫 

参議院で廃案に追い込もう
安倍首相は、議席数だけを頼りに強行採決をした。彼は、国会での審議が進むごとに支持が落ちてきていることに不安を感じたのであろう。新国立競技場の建設計画を修正することを、採決当日に間に合わせて発表したことにも、その不安は表れている。国民の声に耳を傾けていることをアピールしたかったのである。
 安倍首相の国会答弁はいつも抽象的で、言葉の中身がない。戦地の場面の説明は稚拙で、とても現代の戦争に通用する想定ではない。そして傲慢である。それにもかかわらず、一定程度の支持があり、選挙になると勝つ。それは何故なのか。安倍政治に反対するわれわれは、この問題を真正面から考えてみなければならないと思う。
 安倍首相は「わが国の安全を守ることが、政府の役割だ」という。だが、その「守る」方法は、軍事力ばかり考えている。「後方支援」とか「駆けつけ警護」。そして、「わが国が十分な抑止力を持つことが、相手の攻撃意図をくじくのだ」という。だが、この考え方はまさに「軍拡競争」の考え方である。どの国も、相手が抑止力を増強すれば、対抗してそれを抑止する力を増強しようとする。米ソ対立時代は、まさこの考え方で軍備拡大競争をしたのである。
 だが、国を守る力は軍事力だけではないはずだ。外交力があるはずではないか。一連の国会での論議を見ていると、軍事力の話ばかりだった。安倍首相がホルムズ海峡の機雷の話をしたり、後方支援の話をすると、野党側はそれにつられて、その批判に追われてしまう。軍事力以外で日本を守る論点がほとんど出てこなかった。

「平和国家」として生きていくことを、もう一度確認しよう
日本は「戦争放棄」の憲法を掲げている国である。そのおかげで、世界の諸国、特にアジア・アフリカで、「戦争を仕掛けてこない国」としての安心感を得ている。そして、経済力、技術力、医学力、文化・芸術力で各国の生活安定に寄与している。この「平和力」で他国を幸せにし、自国をも守ることを政治家たちはまともに考えないようである。それは絵空事とでも思っているのであろう。
 その「平和力」は、いわゆるアメリカの勢力下にある国ぐにだけでなく、あらゆる国ぐにに及ぼすことができるはずである。これは、「同盟国が攻撃されたら日本への攻撃とみなして攻撃する」という「集団的自衛権」の逆の考え方である。300万人の日本人の命と、3000万人のアジア人の命を犠牲にしてやっと獲得した「平和憲法」を掲げる日本としては、こういう「平和力」を行使すべきなのである。
 アメリカから見て敵である国が、皆、日本にとって敵なのではない。そこは落ち着いて、冷静に考えるべきなのである。ロシアはウクライナ問題があるから、アメリカにとって半分敵国である。だが、日本にとっては隣国であり、北方領土問題については友好的に相談していかなければ絶対に希望通りに解決しない。
 アメリカは、アフガン、シリア、イラク、イランなどイスラム諸国を引っ掻き回して、収拾のつかない戦乱状態にしてしまった。その悪い結果があの残忍な「「イスラム国」である。アメリカが大軍隊でイスラム諸国の国民を苦しめている、その苦しみの中から生まれた残忍な集団なのである。日本は「イスラム国」を含め、怒れるイスラムの人たちと友好的につきあえる国なのである。今まで、援助はしたけれど、攻撃したことはないのだから。その「平和国家」の心棒である「平和憲法」を掲げて、世界に平和を築くことこそ、日本の世界史的役割なのである。
国会審議を通じて、野党もこの大きな観点からの論議を展開できなかったことに、ぼくは失望している。そして、国民の中にも、「国を守るのは軍事力だけだ」という思い込みがあるから、自民党に票が流れるのではないと思う。われわれ国民が、平和憲法の力に自信をもち、「平和国家」として生きていくことに確信を持とう。われわれの日本を守るのは、軍事力ではなくて「平和の力」なのであることに確信を持とう。そして、政治家たちに「平和の力で国を守ること」に全力を挙げることを要求しよう。それが「戦争法制」を廃案に持ち込む道なのである。(2015,7.22)
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第49号 大阪、寺田ともかさんの街宣スピーチ全文

昔あったづもな通信第49号
小澤俊夫

去る7月15日の夜、大阪の梅田で行われた緊急街宣アピールでの、寺田ともかさん(21)のスピーチです。友人が送ってくれました。素晴らしいので、「昔あったづもな通信」第49号として皆さんに送ります。納得できたら次に伝えてください。若い女性が頑張り始めたのが嬉しいです。IWJ(Independent Web Journal)のホームページに詳しく載っています。お送りするスピーチ全文の書き起しは、IWJからの転載です。http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253905
2015年7月22日 小澤俊夫


【寺田ともかさんのスピーチ全文書き起こし】
日時 2015年7月15日(水)
場所 梅田ヨドバシカメラ前
主催 SEALDs KANSAI

「こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。

国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。

だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。

大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。

先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。

この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。

この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。

なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。

この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。

しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。

わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。

日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。
わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。

安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。

民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。

安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。

今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。

この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。
そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。

武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。

そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。

2015年7月15日、わたしは戦争法案の強行採決に反対します。ありがとうございました。

第48号 戦争法案を阻止しよう。 選挙区内の議員に手紙、メールを送り付けよう。

昔あったづもな通信第48号
小澤俊夫

戦争法案を阻止しよう。
選挙区内の議員に手紙、メールを送り付けよう。

 今日、2015年7月15日は、日本の民主主義にとって重大な日になった。ぼくは国会の委員会中継を見ていたが、民主党、共産党の委員、及び委員でない野党議員たちのプラカードが揺れ、抗議する怒号のなか、浜田委員長がほとんど聞き取れない声で「承認されました」と叫んで終わった。民主主義の国で起きるはずのない出来事が起きてしまった。
 自民党、公明党の委員たちは、まるで他人事のように眺めていたかと思うと、委員長の「起立を求めます」という声に、さっと立ち上がった。まるで、ボウリングのポールのように見えた。執行部の言うとおりに行動する、考えないポールである。
 ならば、ぼくらは個別に働きかけていこう。まだこれから参議院での審議があるのだから、自民党と公明党の参議院議員に、直接に自分の意見と質問を送りつけようではないか。
 来年は参議院議員の選挙がある。議員は選挙運動を始めていることだろう。そこで、われわれとしては、自分の選挙区の自民党、公明党議員に、戦争法制への批判を書き、それが憲法違反であることを強調し、それぞれの議員に返答を求める。そして返答がない場合と、戦争法制に賛成ならば、「来年の選挙で票を投じない」と予告する。これが全国で行われたら、議員たちは間違いなく不安になる。
 議員、特に新米議員には、党の上層部に逆らう勇気はない。そして、もっと気になるのは選挙区民たちの意向である。これは間違いない。われわれは、選挙民の権利を行使しよう。力を発揮しよう。このアイデアをぜひ広めてもらいたい。
 自民党と公明党の執行部や国会の委員会委員長に手紙を送るのもいいだろうが、受け取ったほうは、自分の選挙には直接影響はないと思うから、怖くない。無視できる。だが、自分の選挙区民からの意見は怖いはずである。しかも、強い意見や質問がたくさん来たら無視できなくなる。そうなれば必ず、執行部に訴え出ることになるだろう、「何とかしてくれ」、「やばいんじゃないか」と。
 街頭や国会前で声を上げるのももちろん重要である。だが、時間的に、地理的に、生活上、できない人が多いと思う。そういう人にとって、手紙を出すこと、メールを送り付けることは実行しやすい方法だと思うし、効果がある。この方法を全国で実行したい。
 自分の選挙区の参議院議員、衆議院議員が誰であるかは、ネットで「国会議員」と検索するとわかる。まず名前を確認して、次にその人の議員会館内の事務所を調べればわかる。もちろん、地元の事務所でもいいわけだ。
 自民党、公明党議員の自覚を促そう。そして、選挙の恐ろしさを思い出させよう。(2015.7.15)

第47号 自民党・公明党議員に意見を直接送りつけよう

昔あったづもな通信第47号
小澤俊夫

自民党・公明党議員に意見を直接送りつけよう
 安倍首相は戦争法案の議会提出のタイミングを狙っている。ぼくら庶民はあらゆる可能な方法で反対意見を表さなければならないし、反対意見を広めて、国の世論を作っていかなければならない。
 その意味で、もう一つ有効な反対の仕方があると思う。それは、自民党、公明党の国会議員に直接に、戦争法案反対の意見を送り付けることである。
 与党議員たちは、選挙のとき党の公認をもらわなければならないから、党中央の意見を批判したり、それに反対することはできない。だが逆に言うと、選挙では選挙区内の住民から票をもらわなければ当選しない。だから区内の選挙民の意向には、実は敏感なのである。
 そこで、ぼくら選挙民としては、選挙区内の国会議員に戦争法案反対の手紙を送ろう。強く書いてもいいだろう、「もしあなたが賛成票を投じたら、次の選挙では絶対に票をあげません」と。詳しい意見を書けば、もっと効果があるだろう。「あなたの子どもや孫が戦争に駆り出されてもいいのですか」、「日本国内にテロが入り込んできてもいいのですか」、「憲法違反の現内閣にあなたも同調して、子孫に顔が向けられるのですか」、「戦争法案についての安倍首相の説明に、あなたは個人として本当に納得しているのですか」などなど。
 送り先はネットで調べればすぐわかるだろう。国会議員だから、地元に事務所があるはずだし、永田町の議員会館にも事務所がある。
議員たちはこうやって地元で足許から揺さぶられたら、次の選挙のことがあるから、必ず考えてしまうだろう。戦争法案の国会提出が迫っているから、急いだほうがいいと思う。庶民の具体的な、直接的な、選挙民としての力の行使の一つである。事態は切迫しているから、このアイディアをすばやく拡散し、各地で実行しよう。(2015.7.11)

第46号 言論弾圧と言論目つぶし―週刊誌に注目

昔あったづもな通信第46号
小澤俊夫

言論弾圧と言論目つぶし―週刊誌に注目
 政権党である自民党は、選挙前にマスコミに対して公正な報道をするよう要請したかと思うと、安倍首相に媚びる若手議員やシンパが、沖縄の新聞はつぶせとか、マスコミを締め付けるにはスポンサーにならないことが一番いい、とか言って、言論弾圧の寸前にまで行っている。さすがに安倍首相も官房長官もあわてだして、謝罪めいたことを言ってみたり、「わたしの責任だ」と、心にもないことを言って逃れようとしている。もちろん本音は変わっていない。ひたすら戦争法案の採決をめがけてのポーズである。
 一方、ぼくは週刊誌がどう動くかを注目している。六十年安保の時も、新聞七社が降参する前から、週刊誌は怪しげな動きをしていたからである。つまり、世論形成に陰で力を発揮したのである。
 世の中を見渡してみると、一方では強烈に反原発、辺野古新基地反対、憲法擁護を叫ぶ人がいるが、一方では、大東亜戦争肯定、従軍慰安婦はいなかった、アメリカ軍への協力賛成、自主憲法制定を叫ぶ人たちもいる。だが、圧倒的多数の国民は、現在の状況をどう判断したらいいかわからず、日常の生活がうまくいきさえすればいいという気分であるようだ。その結果が、毎回の各種選挙で表れてしまうのである。信じられないほど高い棄権率。自民党候補者の信じられないほど高い当選率。
 この中間層に強い影響を与えているのが、週刊誌とテレビだと思う。テレビの問題はよく取り上げられるが、ぼくは週刊誌に注目する。紙による伝達様式として、週刊誌は極めて強い力を発揮していると思う。中でも強い影響力を発揮しているのが「週刊新潮」と「週刊文春」であるようだ。発行部数も他を圧倒しているらしい。
 その二誌。国会で戦争法案が審議されていて、政府・自民党が強引に採決にもち込もうとしている今、今週の「週刊文春」の見出しのトップは韓国への罵声であり、「週刊新潮」の見出しのトップは、皇室のもめごと(作り話かもしれない)である。この二つの話題は、話題性という点では伝家の宝刀なのである。日本人の中にはいわれなき嫌韓感情をもっている人が案外多い。それを大々的に書けば、戦争法案の問題など吹っ飛ばせると編集部は狙ったのであろう。
 皇室の話題はもっと人気がある。しかも、うそかほんとかわからないもめごとのようなことを書けば、ほとんど必ず人目を引く。戦争法制への厳しい目をつぶすにはもってこいの話題と編集部は考えたのであろう。
 こんな策略に乗らないいようにしよう。読者をばかにした記事であり、策略なのである。この話題は流れる可能性があるから、そんな話題に気を取られている人がもしいたら、策略に乗らないように注意してあげなければならないと思う。(2015.7.10)

第45号 戦争法案を通してはならない

昔あったづもな通信第45号
小澤俊夫

戦争法案を通してはならない
 安倍首相は、国民の6割以上が“まだわからない“と言っているのに、強行突破をしようとしている。明白な憲法違反を違反でないと言い張り、具体的な戦場の場面はまともに説明できない。兵站基地は安全なところに作るのだから自衛隊に危険は及ばない、なんぞという説明は、まともな大人の説明ではない。
 安倍首相に取り入りたい若手議員からは、言論弾圧の暴論が出る。安倍首相の親友らしき小説家からは、沖縄についての無知をさらけ出して沖縄の人たちへの侮蔑的発言が飛び出す。
 安倍首相はもうこれ以上のぼろが出ないうちに、戦争法案を強行採決してしまおうと思っているに違いない。高村副総裁は、「もう十分時間をかけた」と言い始めた。われわれは国会の外で反対を叫ぶが、国会内での戦いは国会議員がやるしかない。野党議員は、まことに体を張って採決を阻止しなければならない。
 野党と言いながら自民党の飼い犬野党もあるが、反戦、反原発、憲法擁護の野党は、細かい差異は捨てて、戦争法案の採決に反対しなければならない。議場が荒れるのは当然の成り行きではないか。
 われわれ国民は、あらゆるところで声を挙げよう。平和な日本を子どもたちに渡さなければいけないのだから。

2520億円の新国立競技場建設
過去のいろいろな国のオリンピックと比べて、まさに桁違いである。誰が聞いてもあきれる建築について、誰も責任を持っていない。形式上の責任者は文科大臣だというが、彼は内容を知らないまま承認した。設計を選んだ委員会の責任者、安藤忠雄は最終決定の場に欠席だし、コメントしない。
 この建築は将来必ず国民の負担になる。維持費がついて回る。菅官房長官は、これを変更したら国際的に信用を失うと、深刻そうな顔をして述べていた。だが、国際的と言うならば、こんな桁はずれな建築を一回のオリンピックのために建築することそのものが、国際的に嘲笑されていることを知るべきである。そもそも大きすぎるし、オリンピック後の維持費用が掛かることは誰の目にも明らかなのだから。
 その後の維持費用がかかるということは、次の世代に迷惑をかけるということなのだ。秘密保護法を作り、戦争法案を作り、巨大な金食い競技場を作る今の世代は、今後長きにわたって孫、ひ孫たちの恨みを買うことになる。
 一度立てた計画を、冷静に判断して中止することができない日本という国。そのとき、常にだれも責任を取らない国。原発作成の過程もそうだった。大ダム建造の過程でも同じことが起きている。戦争法案を作って日本を戦争する国に作っていく過程も同じだろう。憲法に違反していることが明らかになっても、中止することができない。アメリカの戦争に巻き込まれて、日本がいわゆるテロ攻撃を受ける事態になっても、誰も責任を取らないだろう。安倍首相は、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にないといきまいているが、そうなったとき、安倍首相は責任を取らないだろう。
 これをいきなり「日本人の特性だ」とはぼくは言わない。歴史の中には、責任ある人たちがいたのだから。これは「官僚の特性」だと思う。計画は立てる。だが責任は負わない。高級官僚たちはそうやって地位をあげてきたのだから。福島第一原発の大事故にまつわるすべての経緯がそのことを明らかにしている。そして、政治家たちも、そういう官僚をうまく使いこなして(こなしたつもりで?)勢力を広げるのだから、官僚の特性はいつまでも変わらない。
 日本では敗戦後、軍部は解体されたが、官僚機構は生き延びた。それでもしばらくは、「公務員は国民の僕」であると言われて、「公僕」という言葉が使われた。
しかし今や、その言葉自体が聞かれなくなり、官僚支配が強まってきている。その端的な表れが、戦争法制制定への強引な流れであり、新国立競技場建設の無責任な決定なのである。(2015.7.9)
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