第16号 集団的自衛と称して、日本の若者が戦争に駆り出される事態が迫ってきた

むかしあったづもな 第16号
小澤俊夫

集団的自衛と称して、日本の若者が戦争に駆り出される事態が迫ってきた
同盟国とは即ちアメリカのことだが、アメリカがする戦争は自衛戦争ではない。常に攻撃に出ていく戦争である。ベトナム戦争、イラク戦争。そのアメリカと集団を組んで、日本の若者を戦地に駆り立てようというのである。
 現在、アメリカが今にも軍隊を派遣しそうなのは、イスラエルとパレスティナの紛争とイラク国内の紛争である。だが、この二つの紛争には、日本は全く関係がない。アメリカに付き合ってそこに日本の若者を兵隊として送りこむということは、日本人として普通に考えれば、まったく愚かな、無駄なことである。
 イスラエルとバレスティナの紛争は、完全にユダヤ教とイスラム教の宗教戦争である。ユダヤ教にとってもキリスト教にとってもイスラム教にとっても、エルサレムは聖地で、互いに独占したがっている。イスラエルの民、即ちユダヤ人にとってエルサレムはダビデの町であり、母なる都市である。ダビデが西暦紀元前1000年ころ、エルサレムを首都と定め、その後、ソロモンがエルサレムに神殿を建てた。
そしてキリスト教徒にとっては、エルサレムはナザレ人イエスの死と復活の舞台である。中世には、ヨーロッパのキリスト教国が十字軍を組織してエルサレムをイスラム教徒から奪還しようと努めた。西暦十一世紀末から十三世紀末までの二百年間に、大きな十字軍だけでも八回にわたって執拗に行われたが、成功しなかった。
 一方、イスラム教の歴史では、610年からムハンマド(マホメット)が絶対神アッラーの啓示を受けた。それを書物にしたのが「コーラン」である。「イスラム」とは「唯一の神アッラーに絶対的に従うこと」の意で、その戒律は厳しい。
複雑な歴史の流れの中で、パレスティナという地中海の東端の地域にはイスラムを奉じるアラブ人も住み着いた。第二次大戦後、1947年に国連は、パレスティナをアラブ人地域とユダヤ人地域に分割した。その分割では、全人口の33%に過ぎないユダヤ人に57%の土地を与えた。これにアラブ人側が反発し、第一次中東戦争が勃発した。
 ざっと見るだけでもこんなに長い歴史の中で解決できないままの紛争なのである。ムハンマドから考えても、日本でいえば、古事記が書かれるより100年前から始まった計算になる。
 人類にとって1400年も引きずってきた紛争に、アメリカはコミットしたがっている。なぜなら、いわゆるアメリカ人にはユダヤ系の人がたくさんいて、しかも、政治、経済の重要なポストを占めているからである。そういう紛争に、「集団的」と称して日本が若い兵隊を送る必要は全くない。この紛争は日本には全く関係のない、しかも終わらない紛争なのである。
 今、アメリカが手を出したくて仕方がない、だけど手を出すのが怖いもう一つの紛争がイラク国内の紛争である。アメリカが「核兵器疑惑がある」とうそを言って戦争を仕掛けて、イラクを大混乱に陥れ、人びとに地獄の苦しみを強いている。シーア派のマリク政権に対して、最近、スンニ派が反撃に出て、いくつもの重要都市を抑えてしまった。その混乱の間に北部にいるクルド人が勢力を拡大し、油田を抑えて、今やクルド独立国家を樹立しそうな勢いである。(クルド人は独自の国を持っていない悲劇の民族である。これまで、何人もの独立運動指導者が葬り去られている。ぼくは独立を願っている)。
 アメリカは、シーア派のマリキ政権支援のために手を出したいところだが、世論はもう戦争に賛成しそうにない。そうなると日本の軍事力が魅力的なのである。
 だが、イスラムの中でのスンニ派とシーア派の対立はもう1000年以上続いている対立である。とても終わる話ではない。そんな紛争に、日本の若者を兵隊として送るなど、絶対にするべきではない。
 安部首相の集団的自衛権の主張を聞いていると、いくつもの事例を挙げて、こういう場合に必要なのだと主張したが、ひとつひとつを吟味してみると、机上の空論ばかりである。曰く、「紛争地の日本人がアメリカの軍艦で救助されて運ばれているとき、その軍艦が攻撃されたら、ほっとくわけにはいかない」。だがアメリカの高官が「軍艦に民間人を乗せることはあり得ない」と言ったと報じられている。
 日本の若者を兵隊にして戦地に送り出すことは絶対にしてはいけない。日本は平和憲法を持っている国として、世界に平和を説いて回るべきなのである。(2014.7.14)

 

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