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第72号「元号をやめて西暦にしませんか」

昔あったづもな通72号
小澤俊夫

元号をやめて西暦にしませんか
 天皇が退位されることになり、新しい元号が話題になっているが、ぼくはこの際、元号はやめて、西暦に切り替えたほうがいいと思う。元号で時代を考えるために、われわれの時代感覚は短い時間に限定されてしまっていると思うからである。
 例えば、日清戦争は明治27・28年だった。今から何年前ですか、と言われて、すぐに答えられる日本人はほとんどいないだろう。西暦ならば、2018年から1894年を引き算すれば、124年前とすぐわかる。このことは単純なことのようだが、実はわれわれ日本人の時代感覚に大きな影響を与えていると思うのである。
 われわれは、室町時代とか明治時代、大正時代などというが、そのとき、現在との時間的距離は意識しないで、室町時代という時間的かたまりを意識しているに過ぎない。満州事変以来の時代に起きた出来事も、現在につながる出来事としてよりも、昭和時代という時間のかたまりのなかの出来事としてしか把握しない。その表れのひとつが韓国の従軍慰安婦問題ではないかと思う。日本人にとっては、あれはもう昭和時代という過去の一時期の出来事に過ぎないのである。韓国の人にとってはとてもそんなものではないのに。
 われわれはその意味で、時間的近視眼なのである。遠くは見えない。
 この近視眼は、時間だけでなく、空間についても効いているようである。第二次大戦末期にインパール作戦という大作戦の失敗があった。3万人の兵士が餓死、病死して敗退したということである。ビルマを横断して北上する約470キロ行軍の大作戦だったのだが、参謀本部は、山脈あり、大河ありのこの行軍が実際にどれほどの困難を伴うものか、イメージできなかったのだと思う。武器弾薬と食料を運ぶのに、牛や馬の背に乗せたというのだ。これなどは、農村での仕事の発想の応用ではないか。近視眼そのものである。敵の襲撃を受けると、牛や馬は四方八方へ逃げてしまい、日本軍は武器弾薬と食料を一気に失ってしまったこともあるという。
 この時間的、空間的近視眼を拭い去るために第一にするべきことは、元号をやめて西暦にすることである。時間を長いスパンで見ることが基本である。
 しかし、西暦はキリスト教の暦年だから日本には向かないという考えもあるだろう。だが、共産国である中国でさえ、年号を廃止して西暦にした。ロシアも共産国時代から西暦である。 
 そもそも元号とは、古代中国の前漢時代に、武帝という専制君主が作ったものということである。紀元前二世紀の話である。それを、二十一世紀の日本が、唯一の国として後生大事に守っているということ自体、驚きではないか。
 マスメディアは、そんなことは取り上げず、「元号にはMTSHは使わないほうがいい」などということで盛り上がっている。情けない話である。(2018.2.9)
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