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第61号「子どもたちに幸せな未来を」

昔あったづもな通信 第61号         
小澤俊夫

 昨年国会で強行採決された「安保関連法」は、ついに施行されました。現在と将来の若者を戦争に駆り立てる準備が整えられつつあります。7月に予定されている参議院選挙では、自民・公明党に絶対に勝たせてはなりません。そのためには野党が小異を捨てて、護憲、反原発、安保法廃棄で団結しなければなりません。そして、毎日の生活のなかでは、お母さんたちが安心して子供を預けられる保育所を、国家の責任でちゃんと整備させなければなりません。若者たちが将来への夢を持って働ける職場を整えさせなければなりません。
 ぼくは昔話の研究者であり、庶民が伝承してきた貴重な文化財としての昔話を、その美しい姿のまま、壊さないで伝承しようと主張している人間なのですが、日本が戦争する国になってしまえば、庶民の伝承文化財などあっという間に壊されてしまいます。そして、若者たちは殺し合いの場に駆り出されるのです。そんな日本にすることは決して許せません。そこで、昔ばなし大学としても、初めて、子どもたちに幸せな未来を贈ろうという講演会をすることにしました。
参議院議員として国会で護憲、反原発、安保法廃棄で頑張っている福島みずほさんに来ていただいて、直接お話をうかがい、勉強しましょう。ぼくたちの意見も聞いていただきましょう。そして会の参加者同士の連帯も強めましょう。子どもたちに幸せな未来を贈るために。(2016・4・8)

昔ばなし大学 講演会
「子どもたちに幸せな未来を」
 講演・進行 小澤俊夫
 ゲストスピーカー 参議院議員 福島みずほさん

福島みずほさんは、参議院予算委員会などで安倍首相に鋭く切り込んでいます。
数年前、「子どもゆめ基金」が廃止されそうになったとき、ぼくは全国の署名を集めたのですが、そのとき力になってくれて、廃止から救ってくれたのが福島さんでした。今回、お忙しい中、ぼくの希望を受け入れて、ぼくとジョイント講演会をすることになりました。福島さんのお話を真近で聞けるいい機会なのでどうぞいらしてください。
小澤俊夫


■演題 「子どもたちに幸せな未来を」
■日時 5月24日、火曜日。午後6時45分から8時30分まで。
■ 会場 武蔵野公会堂
   (JR吉祥寺駅、京王井の頭線吉祥寺駅公園口徒歩2分)
*会場は以前、国立オリンピック記念青少年総合センターとお知らせしましたが、武蔵野公会堂に変更になりました。それに伴って、申し込み不要になりましたので、知人、友人の方々も誘ってご自由においでください。
■入場料 500円 当日、会場で申し受けます。

問い合わせ先: 小澤昔ばなし研究所
〒214-0014 川崎市多摩区登戸3460−1  
パークホームズ704
       e-mail :mukaken@ozawa-folktale.com
        Tel/fax: 044-931-2050



第60号 KUMON NOWスペシャルインタビュー(後編)

昔あったづもな通信 第60号
小澤俊夫

(前号に続き、公文教育研究会インタビュー再録の後編をお届けします。後編のオリジナルサイトのURLは、http://www.kumon.ne.jp/kumonnow/special/029_2/です)

KUMON NOWスペシャルインタビュー
「子どもには自ら育つ力がある
昔話に込められたメッセージに
耳を傾けてみよう」(後編)


研究者になるために決意した3つのこと
ぼくは大学での研究生活のあと、1992年に「昔ばなし大学」を全国で開講し、1998年に「小澤昔ばなし研究所」を創りました。グリム童話に始まり、昔話をずっと研究してきたわけですが、その間、迷いは一切なかったですね。
大学入学時、専攻していたドイツ文学では、優秀な仲間がたくさんいて、それに比べると自分は並の研究者だと気づきました。でも、昔話の研究者になりたい。そのためにはどうしたらいいか、3つのことを考えました。1つは幅を広げないようにすること。2つめは人より3倍時間をかけること。3つめは人より長期間やること。その原則でいままで来ています。逆に才能のありすぎる人はいろんなことをやりたがり、まとまった成果を上げられなくなります。学生たちを教えていた頃にも、よくこの原則の話をしました。
大学院卒業後、東北薬科大学でドイツ語を教えながら、グリムの勉強もずいぶんしました。初めてドイツへ渡航したのは36歳のときで、研究者としては遅いほうです。でもぼくは「いつか行けるだろう」と考え、焦らなかった。最初は世界のメルヒェンの百科事典を制作する手伝いのために半年間、その数年後に客員教授として招かれ、家族同伴で2年間ドイツに暮らしました。
「昔話は聞くのが楽しい」というのは、フィールドワークで実感していたので、息子たちにも聞かせたりしていました。そして今は孫に読んでいます。いや、逆に孫が読んでくれますね。もちろんぼくは、相づちを打ちながら一生懸命聞きます。相づちは、語りと対なので、とても大切です。お父さんもお母さんも、子どもが何かを言ったら、聞き流さないではっきり相づちを打って聞いてくださいね。


昔話は人間の成長の姿を語っている
大学で教えていた時は、学生を連れてあちこちの農村を訪ね、土地のおじいさん、おばあさんに聞き取りして、昔話を調べていました。ある78歳のおじいさんは、「うちのじんつぁま(=じいさま)から聞いた」と、12話も語ってくれました。「じんつぁま」から聞いたのは8歳くらいの時までで、大人になっては二度兵隊に行っているし、お孫さんにも語ったことがないという。なのに、なぜ70年前の話を思い出して語れるのか、不思議でした。
でも、1話終わると、ひじをついてじっと思い出している姿を見て気づきました。思い出しているのは昔話だけではなく、「じんつぁま」のたばこのにおいや囲炉裏のにおい、周りの暗さ……話を聞かせてくれた「じんつぁま」全体とその情景全体なのだ。それで昔話も思い出せたのだ、と。
「じんつぁまのこと、思い出すだろうね」と言うと、「うん、思い出すね」。その一言でぼくはそれを確信しました。話の言葉を覚えるのとは違う、語り手の姿、ぬくもりを覚えている。「じんつぁま」との強い人間的な結びつきがあるから、その「じんつぁま」が語ってくれた昔話を思い出せるのです。そうやって昔話は語り伝えられてきたのです。
そのおじいさんが「じんつぁま」から語り継がれてきたように、昔話は、おじいさん、おばあさんが孫に伝える「隔世遺伝」です。おじいさんは、昔は悪ガキだったわが子でも、今は親をやっている姿を見ているから、「子どもはちゃんと育つ」ことがわかっています。
昔話というと、「はなさかじい」など教訓ものが有名ですが、昔話にも「子どもの成長」が織り込まれています。教訓ものに登場するのは、じいさんかばあさんで、良いじいさんは最後まで良いじいさんと性格は変わりませんが、多くの昔話は主人公の性格は変わります。はじめは間が抜けていても、最後は賢くなる。
「三年寝太郎」のお話が好例です。寝てばかりいる若者が、あるとき悪知恵を出して長者の娘の婿になる話で、大人は「道徳的によくない」と言います。でも、ちょっとした悪知恵を働かせることは誰にでもあり、その意味で本当の人間の姿を伝えています。そして、「寝太郎」の姿は「若者の変化」そのものです。だからぼくはこの話が大好きです。
若いときにはいい加減でも、30~40歳になればちゃんとやっている。そんなぼくの「寝太郎理論」にあてはまる人はいっぱいますよ(笑)。ぼくは長い間大学で教えましたが、勉強しない学生がたくさんいました。でも卒業して20~30年も経つと、皆、すまして立派な大人になっていますから。


子どもは「育てる」のではなく「育つ」もの
大人は子どもを信頼しよう

昔話からわかるように、子どもは自らの力でちゃんと育ちます。それを理解し、子を信頼すればよいのですが、今は、親が子どもに口を出し過ぎてはいないでしょうか。
もみの木をご存じでしょう。我が家の息子たちが小さいとき、クリスマスツリーにしようと、庭にもみの木の苗を植えたら、少しずつ先の尖ったきれいな形に育ってきた。クリスマスが楽しみだと思っていたら、それらしく揃い始めていた上の方を、ある日植木屋さんにバッサリ剪定されてしまいました。がっかりしたんだけど、しばらくするとまた見事に先の尖ったきれいな形に戻ったのです。もみの木は「おれの姿はこういう姿なんだ」と主張しているのです。
もみの木でさえ、自分の意思を持ち、復元力がある。だから人間の子だって、「自分はこういう姿でありたい」という意思をもっているはずだと思うのです。大人が脇から「こうしなさい」「早くやりなさい」「もっとたくさんやりなさい」などと言うのは、大人の支配欲ではないでしょうか。大人がやるべきことは、子どもがもみの木みたいに、すくすく生きていけるよう手助けをすること。信頼し、育つ環境を作ってやることです。今、子どもはあまりにも手を加えられ過ぎている。人は盆栽ではないのです。
ぼくの母は、ぼくらの手が離れたころ、「わたしはうちのなかで空気のような存在でありたいと思っていたのよ」とポツリと言ったことがあります。空気はふだんはその存在に気づきませんが、でもなければ生きていけません。父はぼくらの家が戦後貧しかったときに、音楽好きなぼくらのためにピアノを買ってくれた。「こんなに貧乏なのに……」と、親戚からは批判されたようですが、父は「おれの自由教育が正しかったかどうかを証明するのはお前たちだ」とぼくらに言ったことがあります。ぼくは「証明できないはずはない」と思いましたね。父も母も、ぼくら子どもたちを完全に信頼していました。
その目で見ると、現代の親子関係の状況はとても気がかりです。「子どもは無限の可能性を持っている」とよく言いますが、それは「大人が干渉さえしなければ」という条件つきです。幼いときから、大人が子どもの可能性を一生懸命つんでしまっていないか、心配です。子どもは自ら成長し、変化するもの。そうした当たり前で大切なことを、昔話は教えてくれています。大人は、慌てずに焦らずに、子どもたちを信頼して、温かく見守っていてください。(了)

第59号 KUMON NOWスペシャルインタビュー(前編)

昔あったづもな通信 第59号
小澤俊夫

 この「昔あったづもな通信」は、日本の社会や政治に対する私の意見を発信する場として運営しているが、私は昔話の研究者なので、昔話に寄せる私の思いや、昔話から私が何をくみ取っているかなども読んでいただきたいという思いがだんだん強くなってきた。ちょうどそんな時、「くもん教育」という独特な教育を展開している会社からインタビューを受けた。このインタビューは公文教育研究会のホーページの中の「KUMONnow」というコーナーに掲載されているが、よくまとめられているので、私の自己紹介のような意味でここに、二号にわたって再録させていただく。なおオリジナルのサイトのURLは、http://www.kumon.ne.jp/kumonnow/special/029_1/である。(2016・3・3)

KUMON NOWスペシャルインタビュー(前編)
「子どもには自ら育つ力がある
昔話に込められたメッセージに
耳を傾けてみよう」

昔話は音楽と同じ。リズムの楽しさを壊してはいけない
みなさんは「昔話」というと、何をイメージしますか。昔話は、口で伝えられてきたお話です。口で伝えられてきたということは、「耳で聞いて」伝えられてきたということ。聞き終ったら消えてしまう、聞いている間だけのもので、音楽と同じ「時間にのった文芸」なのです。
昔話は同じ場面が出てきたら同じ言葉で繰り返します。これも音楽と同じです。しかも繰り返しはだいたい3回。たとえばグリム童話の『白雪姫』は、1度目は紐で、2度目は櫛で、3度目は林檎で殺されます。アニメや映画では林檎だけなので、ご存じない人もいるかもしれませんが、じつは3回殺されているのです。
音楽も、同じメロディを2回繰り返します。そして3回目は少し長く、一番強調されています。つまり3回目が一番大事だということです。これが音楽の基本的なリズムで、このリズムは昔話にもあります。白雪姫も林檎のシーンが一番長いでしょう。ホップ、ステップ、ジャンプという陸上競技のリズムも同じです。人間にとって、このリズムが一番自然だからです。
このリズムは、子どもだけでなく、大人にとっても心地よいもの。そしてその楽しさを壊さないことが大事です。けれども残念なことに、昔話に関しては、たくさん本が出ていたり映画にもなったりしていますが、3つのリズムの前の2つを省略してしまうなど、本来の昔話の「語り口」から離れてしまっているものが多いように感じます。そのことに気づいてもらい、「語り口」がきちんとしている文章を選んでほしいし、さらにそう指導できる人を日本中に広げたい。そんな思いから、全国各地で開く「昔ばなし大学」に、いま力を入れているところです。

「涙を知るのはいいことだ」
敗戦を迎えて父が言った言葉は忘れられない

ぼくは満州事変が起こる1年前、昭和5年に満州で生まれ、小学5年生までを北京で過ごしました。とにかくわんぱくで、悪さばかりしていましたね。当時暮らしていた中国の家は、隣家と屋根がつながっていて、屋根から屋根へひょいと伝い歩けるので、屋根伝いにどこまでも行ったりして。
父は満州で歯科医をしていましたが、その後政治団体に関わるようになります。昭和15年頃になると、父は「この戦争は勝てない」と言い出します。政治評論集を作り、軍部批判をしていたので、軍部からは睨まれ、自宅には毎日憲兵が来て監視されていました。
翌年には父以外の家族が日本へ戻り、その2年後には父も日本へ。東京の立川に住みましたが、そこにも今度は特高警察が毎日来る。それでも父は国のことを憂いて平気で軍部批判をするので、いつ捕まるかとヒヤヒヤする日々を過ごしました。
ところが結局そのまま終戦を迎えましたが、その後父が亡くなったとき、特高として監視していた方から、ていねいなお悔やみの手紙をいただいたのには驚きました。そうした方たちも、父が憂国をもって信念を貫く姿を、じつは慕っていたのかもしれません。そしてぼくも、こうした父の姿に大きな影響を受けたのは言うまでもありません。
父が敗戦直後には、「この敗戦は日本にとっていいことだ。日本は日清戦争以来、負けていないから涙を忘れてしまった。これで涙を知るのはいいことだ」と言ったのも忘れられません。そして、ぼくら子どもたちには、「お前たち、好きなことをやれ」と言いました。
母はクリスチャンで、ぼくらも教会の日曜学校に通い、賛美歌を習いました。それが我が家の音楽との付き合いの始まりでした。すぐ下の弟(=小澤征爾氏)は指揮者になりましたが、ぼくも音楽が大好きになり、コーラスは今も現役で続けています。

柳田國男先生の一言で、日本の昔話の研究を始める
音楽と同じくらい好きだったのが文学です。なかでも、医師であり神学者、音楽家でもあるシュヴァイツァーに心酔し、関連図書をたくさん読みました。そのうち原書で読みたくなり、ドイツ語を学ぼうと、ドイツ文学者の関泰祐(せきたいすけ)先生が在職されていた茨城大学へ進学しました。
2年目に、二人の先生がドイツ語の教科書としてそれぞれ「ふしぎなオルガン」と「グリム童話」を読んでくれたときに気がついたのですが、同じドイツのメルヒェンなのに何か違う。先生に質問すると、「グリムは昔話だから」と言うのです。それまでぼくは、グリム童話はグリムの創作だと思っていたので驚きました。そして昔話なら民族の考えや風習などが読み取れるのでは、と興味がわき、研究することにしました。
大学の図書館からグリム童話の原書を借り、辞書を引きながら読むと、がぜんおもしろい。衝撃的だったのが、日本の昔話と同じ話を2つ見つけたことです。1つは「たいこたたき」で、これは「天の羽衣」。もう1つは「コベルスさん」で、これは「さるかに合戦」と同じストーリーです。なぜこういうことが起きるのか。この時にグリムを卒論にしようと決めました。
研究を続けたくて東北大学大学院へ進み、修士論文を書いている時のこと、ドイツのある専門雑誌で調べたいことが出てきました。その雑誌は、日本民俗学の創始者である柳田國男先生の研究所にしかないことがわかり、ドキドキしながら訪問し、雑誌を見させていただきました。帰り際に柳田先生から、「何を研究しているのか」ときかれ、ものすごく緊張しながら答えました。ぼくが話し出すと、先生は「ちょっと待って」と、なんとぼくの言ったことをノートし始めたのです。こっちはまだ20代で駆け出しもいいところ。かたや80歳を越えられた先生は神様のような存在です!年齢差は関係なく、知らないことは全部吸収しようとする姿勢に、「学者とはこういうものか」と、感動しました。
ぼくは勉強したばかりだったので、うれしくていろいろ話しました。そしてお暇しようとすると先生が「きみ、グリム童話をやるなら、日本の昔話もやってくれたまえ」とおっしゃった。「そうか、ぼくは日本人なのだから、日本の昔話も研究しなくちゃ」と、その時に決めました。
柳田先生は、戦後の日本の昔話の状況をとても心配されていたのです。というのも、「昔話は無知な農民がつくったものだから、もっと文学的なものにしなければ」というブームが起こった結果、話の内容が変わったり、過剰な装飾が施されたりして、本来の昔話の姿ではないものが流布してしまっていたからなのです。

第58号 安倍政権が牙をむき出しにしてきた

昔あったづもな通信

安倍政権が牙をむき出しにしてきた

 昔ばなし大学であちこち駆け回り、おまけにパソコンが壊れている間に、日本の政治状

況は早いテンポで悪化している。

憲法違反の安保関連法案を強行採決で成立させた後は、国民の目を経済に向けさせ、ま

るで「アベノミクス」で経済がよくなってきているような錯覚を振りまいている。甘利大

臣の斡旋容疑がばれると、すぐに辞職させて、そのことで逆に国民の点数稼ぎをする。最

近のNHKの世論調査では、なんと安倍内閣の支持率が上昇し、不支持率が下降していると

いう。

世論調査の仕方を疑いたくなる発表だから、数字は信じがたいが、その傾向があることは

たしかなのであろう。

 国民は、あれだけ強く反対したのに法律が成立してしまって、経済に目を向けられたら

、あっさりと安倍政権支持に切り替わるのか。そんなことはとても信じられないが、NHK

の世論調査は、少なくともその傾向があることを示しているのであろう。

 安倍首相とその周辺にいるあくどい政治家、官僚たちがその傾向を見逃すはずはない。

次々に牙をむき出しにしてきている。

 安倍首相が憲法九条の改定を公言した。

 2月3日の衆議院予算委員会で、稲田朋美というほとんど極右政治家が、九条一項の戦争

放棄、二項の戦力不保持規定にかかわらず自衛隊が存在するのは「立憲主義の空洞化」で

あると質した。これに対して、安倍首相は、「七割の憲法学者が、自衛隊に対し憲法違反

の疑いを持っている状況をなくすべきだという考え方もある」と述べた。

 聞いて呆れるとはこのことだ。国民を馬鹿にしきった発言である。安保関連法案審議の

時、

憲法学者の多くが(九割と報じられていた)、この法案は憲法違反であると批判した。に

もかかわらず安倍首相はその批判には全く耳を貸さず、強行採決したのである。この事実

は、国民の脳裏にはっきり残っている。

 もし、本当に憲法学者たちの意見に従うべきだと考えるなら、あの時、安保関連法案は

違憲だと主張した多くの憲法学者たちの意見を尊重すべきだったのだ。そして、安倍首相

は今から、一連の安保関連法を廃案にするべきなのだ。この一連の発言は、国民を馬鹿に

しきっている。(憲法学者たちは、これほどいい加減にあしらわれても黙っているのか

。)

 自衛隊については、歴代の自民党内閣の見解があり、大方の国民の支持をえた見解とさ

れている。それは、日本が外国から急迫不正な侵害を受ける際、それを阻止するための必

要最小限の実力を保持する組織であり、戦力には該当しない、という見解である。稲田朋

美や安倍首相は自民党員でありながら、この歴代内閣の見解をどう受け止めているのか。

 高市早苗総務大臣、公平を欠く放送には電波停止がありうると脅し発言

 これもほとんど極右的政治家の高市早苗総務大臣が、2月8日の予算委員会で、放送局が

政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法

76条に基づいて電波停止を命じる可能性があることを述べたと伝えられている。そして

、「政治的公平性を欠く」の事例として、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解

を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわ

たり繰り返す番組を放送した場合」と述べたということである。これは明らかに、先般の

違憲な安保関連法案審議に対する批判的番組を念頭に置いた発言であろう。正に権力者の

脅迫である。

 社会におけるジャーナリズムの役割は、権力者に対して異なる意見を提出することに他

ならない。権力者による権力の行使は必ず強力である。そして、無理な行使になればなる

ほど強引になるのは必然である。そうなると、それに対する異なる意見の提出も強力に行

わなければならないのは必然的なことである。先般の違憲な安保法案をめぐる権力側とジ

ャーナリズムとの関係はまさにそのようなものであった。そして力で押しきったのは、権

力側だったのである。それを今、「電波停止もありうる」と担当大臣が発言するのは、ま

さに権力者による脅迫である。

 電波停止の一歩手前のことがすでに起きている。以前にも取り上げた、古館伊知郎、岸

井成格両キャスターの報道番組からの降板である。

 参議院選挙の一人区では護憲勢力が統一候補で勝利すべきである



各政党は護憲と違憲安保諸法廃案の一点で共闘しなければならない。ほかの政策の差異を

論じている場合ではない。この選挙で自民・公明に勝利させたら、日本は軍事独裁国家に

突き進む。各政党はその責任を自覚すべきである。そして、選挙民はそういう政党に投票

しなければならない。それは未来の日本を生きる子どもたちへの責任である。子どもたち

を軍事独裁国家に追い込んではならない。そのために、一人でも多くの友人たち、隣人た

ちに夏の参議院選挙が重大であることを知らせよう。

 この通信を読んでくださった方々にお願いしたい。一人でも多くの知人、友人に、夏の

参議員選挙では護憲、違憲安保諸法廃案の候補者に投票するよう、よびかけてください。

それはささやかではあるが、確実な、強力な国民の権利の行使なのです。

続きを読む

第57号 司法とメディアの支配は戦争中の状態にまた一歩近づいた

昔あったづもな通信 第57号
小澤俊夫

司法とメディアの支配は戦争中の状態にまた一歩近づいた
 福井地方裁判所の樋口英明裁判長は、関西電力高浜原発3,4号機の再稼働を巡り、2015年4月15日、運転を禁じる仮処分決定を出した。原発再稼働の新規制基準は「緩やかに過ぎ、合理性を欠く」と指摘し、新基準を満たしても安全性は確保されないと判断したのである。
 ところが関西電力は同地裁に異議を申し立てた。そして同じ年の12月24日に同じ福井地裁で、林潤裁判長が4月の判決取り消しの判決を出したのである。原子力規制委員会の新規制基準に基づく判断は「不合理な点はなく、高浜原発3,4号機の安全性に欠ける点はない」と判断し、「(周辺住民の)人格権を侵害する具体的危険は認められない」と結論付けたのである。
 この裁判では、同じ裁判所が正反対の判決を出したことになる。再稼働禁止の判決を出した樋口英明裁判官は、4月の判決後、名古屋家庭裁判所に配置換えされた。裁判所という密室内の出来事なので国民の注目は浴びなかったし、通常の異動の形をとってはいるが、裁判所内では、政府の「原発再稼働」方針に邪魔な裁判官は家庭裁判所にとばされたのであろう。
 その後任は、安倍政権の方針に忠実な裁判官が当てられたのである。建前としては三権分立ということになっているが、最高裁判所裁判官のうち、最高裁判所長官は内閣の指名に基づき天皇が任命する。最高裁判所判事の任命は内閣が行い、天皇が認証する。
 政治家のほうが良識人であれば、三権分立は守られるだろうが、現在の安倍政権は、大多数の憲法学者が違憲と判断した「安保法案」を国会で強行採決するような反知性丸出しの政治家集団だから、政府の方針に反する裁判官には、陰に陽に圧力をかけるのだろう。政府が裁判所を抑えたら恐ろしいことになる。戦争中の状態に極めて近づいてきたと思う。

「ニュース23」と「報道ステーション」のメインキャスター降板
 国会での戦争法案審議の時期、TBSテレビ「ニュース23」のメインキャスター岸井成格(しげただ)とテレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスター古館伊知郎は精いっぱい、ジャーナリストとしての権力批判を述べていた。だがその二人とも、降板となった。安倍政権による具体的攻撃が始まったのである。安倍政権はこれまで報道各社を呼びつけて、いろいろな形の圧力を加えてきていたが、ついに、有力なキャスター二人を狙い撃ちして降板させることに成功したのである。安倍政権は夏の参議院選挙に向けて、国民の歓心を買う政策をこれから次々と出してくる。マスメディアはそれを用心深く報道してくれなければならないはずだが、成井、古館キャスターが葬り去られた後の番組は、次第に政権寄りの報道の仕方に変化していくのではないだろうか。そこは、われわれ視聴者が厳しく監視していかなければならないのである。
 裁判所への無言の介入とメディアへの公然たる圧力。日本は戦争国家へと、また一歩踏み込んだ。それを食い止めるには、次の参議院選挙が正念場である。(2016.1.3)
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